5次元的おしゃれ論
一般的に、近代のファッション文化では、
3次元的な視点によって評価が決まる。
例えば、着痩せして見えるとか、足が長く見える着方から、
アート性があったり、綺麗な色をしていたり、
その場での見た目がとにかく大事とされる。
しかし、人間は4次元的な時空の推論ができるので、
そのようなファッションをしても、実際に感じるのは3次元以上のものを受け取る。
つまり、服の汚れだとか、どんな場面で来てるとかから推論される場面においての機能がある。
実際、これは3次元的なものを崩してしまうくらい威力が高い。
3次元的なものは、言語でいうと、「言葉」で、
実際には言語ならば場面や感情が介入して初めて「言葉」の意味が決定する。
なので、脳で評価した状態が最重要だとすれば、それの評価を大きく決定する要因はかなり重要な要素だと言える。
前回、「世界一のイケメンには誰でもなれる」という話をしたが、これは人間の評価システムが、
時空や感情の中で3次元的なものを評価する仕組みだからである。
なので、本当の意味でのファッションをするならば、
一生懸命貧乏な家庭を支え、子供を必死で育てた母親の汚いボロボロの服や、
死んだ祖父がくれた肩身の指輪などが、
本質的に、一般的なおしゃれ効果を上回るファッションなのだと思う。
再度いうが、人間は見た目だけで評価をするのではなく、
過去や未来の推論の上で評価を下す。
ブランド物が悪いとは言わないが、
トップデザイナーが作った高級ブランドの服で化粧をして美しく見せようとしている人と、
戦争中にお母さんが娘に、わずかなお金と時間を使って、寝る間を惜しんで腕輪を作ってあげたら、
その腕輪はどんな高級な服よりも美しいのでは無いだろうか。
僕は、小学生のころ、体操服のズボンのヒモが抜けてしまったとき、
忙しいお母さんが、睡眠を削って、翌朝までにはヒモを入れてくれていたとき、
見た目を超えた領域がファッションに影響していると、感じ、とても大切にしていた。
そして、この他にも大事な、5次元領域がファッションに大きく影響している。
そのお話は、今度しよう。