突然ですが!身の回りの音楽は、様々なスタイルの音楽で溢れていますよね。
お店のBGM、ポップス、ロック、クラシック、ジャズ、メタル、前衛音楽…本当に、色とりどりで、様々です。
改めて記憶を辿ってみると、本当に色んな音楽が経験として体内に染みているんだなぁ、と思います。
特に音楽を生業としている人は、どうしても特定のジャンルに傾倒しがちだと思いますが、
たまに視野を広げて色んなタイプの音楽に触れることは、
音楽性だけでなく、人間としての「普段眠っている感情を呼び起こす、感性を磨く」ことに繋がるので、
やはりとても有意義に感じます。
僕は中学生の頃、友達の勧めでX Japanの音楽をよく聴くようになり、
特にYOSHIKIさんの音楽が大好きになりました。
心に訴えかけてくる、そして血が燃えたぎるようなあの感覚は、
ほぼクラシック音楽しかやってこなかった僕にとっては、
かなり新しく刺激的な経験でした。
例えばそのような感動体験は、ピアノを本業としている今、
確実に僕の表現の一部に影響していると思うのです。
色んな音楽体験が自分の血となり肉となり、今の自分の音楽表現に何処か要素として現れてくる。
これは、人間の活動として本来的に喜ばしいことだと思います。
人間一人を取ってみても、色々な、本当に様々な過去を生き抜いて生き抜いて今があるので、
どんなに喜ばしい、あるいはどんなに隠したくなるような過去を背負っていても、
それは確実にその人の一部になっていますし、
それを外してその人を語ることのできない、大事な要素になっています。
例え喜ばしくない過去があったとしても、それを乗り越えてきたか、逃げてきたか、
向き合ってきたか、見ないようにしてたか…など、どのようにその現実に相対していたかで、
今のその人がどう作り上げられているかがまるっきり違うはずです。
表現者としての立場から言えば、今自分のできる音楽表現は、
経験、思考、知識などが総動員されて為されるものになってくるので、
本当にホンモノの音楽をしたいならば、まずは自分の過去を全て、
本当に全て受け入れることでひとつスタートラインに立てるのだと思うのです。
自分の高校、大学時代を思い出してみても、やはり、自分の過去を少し覆い隠したような時期と、
もう全て受け入れて、どんなに辛いことや後ろめたいことがあったとしても、
その過去全部に感謝してからの音楽ではまるっきり深みも音楽も、音そのものも変わっています。
と、ちょっと話が逸れてきましたが…何が言いたいかと言えば、
その人を形作るものとして、自分の過去に無駄な部分が一つも無いのと同じで、
身の回りの全ての音楽、音楽体験は、今の自分を形作る上で、
そして自分の音楽表現にとって、一つ残ることなく、皆重要なんだなと、
そう思ったというお話です!(笑)
最後まで読んでいただきありがとうございました😊✨
また次回以降も、宜しくお願い致します!
渡邊拓也