「科学の勝利」の光と影――アラル海の消滅と「船の墓場」――

本日の話題は、大きな意味では近代工業化社会において科学技術が人間に及ぼしたネガティブな影響についてです。このようなテーマについて説明するための分かりやすい例は枚挙に暇がありませんが、国内の身近な話題は検索すれば用意に見つかりますから、本日は日本ではあまり知られていない中央アジアの事例を取り上げてみましょう。中央アジアはロシアの南に位置する地域で、歴史的にはロシア帝国の支配を受けてきました。現在中央アジア西部には5つの共和国が存在しますが、どの国もロシアの強い影響下に置かれています。

本題に入る前に、念のため20世紀初頭のロシア情勢に触れておくことにします。西ヨーロッパで「産業革命」という言葉が産み出されてから数十年後の1910年代、ロシア帝国は産業においても政治においても「後進国」と呼ばれていました。1905年の日露戦争で、それまで極東の小国と見なされていた新興国の大日本帝国に敗れたことは、ロシアの後進性を強調する出来事のようにも思われました。しかし1917年、ついにその後進性の原因とされた皇帝の専制とブルジョアの寡占が労働者と農民により打ち破られ、いわゆるロシア革命をもって共産主義者を中心に新しい国家が建設されました。こうして生まれたのが、マルクス・レーニン主義を基盤とする全く新しい形態の国家、ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)です。ユーラシア大陸の大部分を占める世界最大の領土を持った社会主義国家ソ連は、宗教と資本主義を完全に否定し、急速な工業化によって国力を増強しました。

西ヨーロッパ諸国を凌ぎ、アメリカ合衆国に匹敵する科学力と軍事力を有するようになったソ連は、私有財産の否定と共産党独裁を前提とした大規模な開発や農業の集団化などの政策によって、人間の社会そのものを作り替えようと試みました。これはいわば、かつて自分たちを支配したもの、すなわち自然や歴史、伝統と呼ばれた従来の事物に対する挑戦でもありました。このような挑戦は、皇帝・貴族・ブルジョアというかつての勝者を打倒し、下剋上をなし遂げたソ連という国家が、次なる標的を探す中で見出してきたものと言えるでしょう。

そのなかでも「自然への挑戦」と言えるような政策が、中央アジアのアラル海周辺地域における「自然改造計画」です。アラル海は現在のカザフスタン共和国とウズベキスタン共和国にまたがる砂漠に囲まれた塩湖で、かつては日本の東北地方と同じ規模、世界第4位の面積を誇る湖でした。とてもスケールの大きな話ですね。しかし、現在では湖の水は枯渇し、その面積は福島県程度の規模まで縮小してしまったといいます。航空写真で見ると、かつては真っ青な円形だった湖が、今では茶色の砂漠のようになってしまっていることがわかります。青々とした湖が無残な砂地と化してしまった原因が、まさにソ連政府による「自然改造計画」なのです。この計画は何を目的とし、どのように行われたのでしょうか?

元来アラル海の周辺地域はチョウザメなどの漁業が盛んでしたが、同時に綿花や稲の栽培地としても注目されていたようです。しかし当然ながら、農業には水源が必要です。そこで独裁者ヨシフ・スターリン率いるソ連政府は1940年代から、アラル海の水源であるアムダリヤ川とシムダリヤ川を用水とするため、灌漑計画を進めました。簡潔にいえば、アラル海に注ぐ川の水を大量に取水し、それを水源とする運河を建設し、農業用水としたのです。このプロジェクトで、灌漑用水を用いた綿花の栽培は成功しました。「自然改造計画」と呼ばれる政策の一環として行われたこのプロジェクトは、最終的に農業生産高を増やすことになり、自然に対する「科学の勝利」ともいえる結果を生み出しました。

「科学の勝利」がもたらした結果は、農業生産高の増加という人々にとっての利益だけだったのでしょうか。ご想像の通り、科学の華々しい勝利の裏では、取り返しのつかない事態が起こっていました。灌漑により水源を失ったアラル海が、急速に水位を減らし始めたのです。上述の通り、漁業が盛んだったアラル海には多くの船が停泊していましたが、船の移動も追いつかないほど急速なスピードで水位の減少は続きました。水は涸れ大地はひび割れ、「アラル海だった場所」に残ったのは、干からびた塩と錆びついた船だけでした。アラル海沿岸地域では漁業が壊滅しただけでなく、塩害が問題となりました。塩害が起きると、農作物が育たなくなるだけでなく、都市の建造物や構造物にも塩分の影響が及び、さまざまな障害が生じることになります。こうして、農業生産高の増加という一時的な利益と引き換えに、アラル海周辺の自治体そのものが崩壊を余儀なくされました。朽ち果てた船がいくつも並ぶかつての湖底は「船の墓場」と呼ばれ、「科学の勝利」が生み出した犠牲を象徴する光景となっています。

成立から約70年後の1991年、ソ連は崩壊しました。ソ連は15の国家に分裂し、各国の対立、紛争も目立つようになりました。首都としてソ連全体の政策を決定していたモスクワと、その政策の影響を受けた中央アジアはもはや別々の国々に分裂しました。

「科学の勝利」という栄光に彩られた強国はいまや跡形もなく消え去り、その国が支配した土地では「船の墓場」がかつての輝きを偲ぶばかりです。現在アラル海では、堤防の建設などによって水位を取り戻すための努力が行われており、一定の結果を出しているようです。しかし、一度破壊しつくした土地や社会基盤を完全に復活させることは、おそらくもう二度とできないでしょう。

最初に述べた通り、本日はあえて日本から遠く離れた場所で起きた出来事を取り上げてみました。というのも、これが身近な場所の出来事だとしたら、私たちは冷静にそれについて考えることができないからです。しかし同じようなことは日本でも起こっている、そう感じた読者の方も多いのではないでしょうか。遠い国で起きた我々には縁のないような出来事から、学ぶべきことは多いにあると考えられます。とはいえ、本日の本題はアラル海ですから、我々にとっての身近な話題に踏み入るのは差し控えておきましょう。

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武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。