英語帝国主義という考え方①

日本でもグローバル化が叫ばれ、英語の運用能力があらゆる人材に求められるようになってきました。英語を公用語にする日本企業も増えてきましたね。一時期、ユニクロや楽天など、日本を代表する企業がこぞって英語を取り入れました。英語ができなければ仕事探しも難しい時代になっていますね。しかし、みなさんは疑問に思ったことがないでしょうか?「なぜ私が縁もない外国の言語を話さなければならないのか?」、「英語力と仕事のスキルはまったく別なのに、なぜ英語力で仕事が決まってしまうのか?」と。本日はそんな疑問に応えるべく、「英語帝国主義」という考え方を取り上げてみたいと思います。

ご存知の通り現代では、英語は世界の共通語(リングワ・フランカ)として知られています。ビジネス、教育、旅行など、あらゆるシーンで英語を使う機会は増えつつあります。だからこそ、我々非英語圏の人間も英語を学ぶ必要が出てくるわけです。しかし元来、英語(English language)とは「イングランドの言語」という意味です。イングランドはイギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)を構成する4つの地域(カントリー)のうちの一つにすぎません。つまり、英語というのは、ある国のごく一部地域で話されていた言葉に過ぎないのです。日本語でいえば、東京弁とか関西弁のようなものですね。ある地域の言葉がここまであまねく広まるというのは、ある意味異常な事態とも言えます。

このような異常な事態のことを、一部の学者は「英語帝国主義」と呼んでいます。つまり、これはアメリカやイギリスといったごく一部の英語圏の国々が、他国や他民族に対して自国の言語である英語を実質的に強制し、文化、政治、経済などの面で影響力を強めているという考え方です。帝国主義というのは、自国の文化や経済、領土や影響力を拡大するために他国を侵略することです。過去にはイギリス、フランス、ロシア、ドイツ、日本、スペインなどが帝国主義国家として知られていました。帝国主義国家はいずれも同じように、侵略した地域や民族に対して自国の言語を強制ました。そのなかでも、19世紀までの世界ではフランス語が「世界共通語」として使われていました。

イギリス(大英帝国)は、19世紀まで強大な力を持つ帝国主義国家でしたが、第二次世界大戦までにその力は衰退しました。一方、第二次世界大戦以降、イギリスやフランス、ドイツに代わり世界の覇権を握ったのは、ご存知のようにアメリカでした。これに合わせて、大戦以前の世界では、フランス語に代わり英語が「世界共通語」としての地位を占めるようになりました。ビジネスの世界では英語を話せなければ通用しない時代になりましたね。また、多くの国際機関でも実質的に英語が唯一の共通語のようになっています。

上記のような歴史を振り替えると、現代の世界はいまだに帝国主義の影響下にあり、その中心にアメリカを中心とする英語圏の力があるということがわかります。社会や企業における実質的な英語の強制が「英語帝国主義」と呼ばれてしまうのも、やむを得ないものと言わざるを得ません。日本では、「英語帝国主義」という考え方はあまり一般的に知られていませんが、多くの国でこのような議論が行われるようになってきています。

英語が支配的な言語になっている状態に対して、拒否的な反応を示しているのが、フランス語圏、スペイン語圏、ロシア語圏だと言えるかもしれません。特にフランス語圏は、「フランコフォニー国際機関」という団体を作るなど、連帯感を再び高めつつあります。フランス語はフランスやカナダだけでなく、ベルギーやルクセンブルクからセネガルやマダガスカルまで、世界29ヵ国の公用語となっています。フランス語の影響力はいまだ英語に次ぐ地位を占めています。たとえば、IOC(国際オリンピック委員会)やUPU(万国郵便連合)の第一言語は英語ではなくフランス語です。東京オリンピック招致の際、滝川クリステルさんと高円宮久子様がフランス語の演説を行い話題になりましたね。スペイン語もヨーロッパと中南米を中心に20ヵ国の公用語となっていて、「南米では英語が通じない」と良く言われていますね。アメリカ合衆国内でも、英語ではなくスペイン語を使う人々の影響力はかなり強いと言います。また、ロシア語はユーラシア大陸の旧ソ連15ヵ国で話されており、ロシア語圏でも英語が通じないことが多く、文字もキリル文字を使っているため、旅行者は苦労するようです。かつて冷戦時代にアメリカと対立した旧ソ連では、いまだに英語に対して拒否感がある人もいないわけではないのです。ロシア語はキリル文字を使っているため、そもそもローマ字(ラテン文字)を読めないロシア語話者も存在します。

話が少し逸れてしまいました。以上のように、英語一辺倒なグローバル化社会の状況については「英語帝国主義」として世界から懐疑的な見方が広がっています。英語だけでなく、フランス語やスペイン語など、ある言語がある地域で優先的な地位を占めることを一くくりにして「言語帝国主義」と呼ぶこともあります。どの地域も特定の言語を話すことを強制したりされたりした歴史があるのです。

ここで問題になるのが、それぞれの人がそれぞれ自分の言語を話す権利です。日本の場合、たとえば英語が支配的な言語になったとしたとき、日本語を話す自由が奪われてしまうと、日本人は当然ながら困りますよね。このような「自分の言語を話す権利」のことを「言語権 Linguistic rights」と言い、最近のヨーロッパでは言語権の保障がグローバル化社会の課題として取り上げられるようになってきました。「言語権」は、国際人権規約に記載されるなど、国際法的にもホットな話題となってきていますが、残念ながら日本ではほとんど知られていないようです。とはいえ、今後はこのような概念も日本社会で重要な意味を持つようになるに違いありません。

ここまで、「言語帝国主義」と「言語権」という2つの重要な概念を取り上げてきました。「帝国主義」というのは政治的な概念であり、国家対国家、あるいは国家対地域という大きな対立を想定したものです。一方、「言語権」というのは法学の概念である人権の一種であって、その適用の対象となるのは個人です。たとえば「言語帝国主義」的な国家や企業といった大きな権力に特定の言語を強制された小さな個人が、その強制にどう立ち向かうか。それを考えるときには「言語権」という権力を武器にして戦う方法を考える必要が出てきます。現状では、日本人は日本語を話す権利を侵害されているわけではありません。しかし、今後英語の支配力がますます強くなったとき、日本人は「言語権」を武器に戦うことになるのかもしれません。最近教育の現場では「英語教育もいいけど日本語教育も大事だ」という声が聞かれるようになってきましたが、このような意見は、英語まみれの社会のなかで日本人が将来向き合っていかなければならない問題を予見しているようにも思います。

本日は「英語帝国主義」という考え方をご紹介しながら、英語をとりまく世界の状況に目を向けてきました。英語を勉強するのは素晴らしいことです。しかし、私たちがなぜ英語を学ぶのか、ということを考えるのも決して無駄ではないでしょう。英語が支配力を増すなかで、これから日本語話者はどのように振る舞うべきなのでしょうか。「英語帝国主義」や「言語権」といった概念を念頭におきながら、この問題を考える必要があるかもしれません。

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武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。