言語系統のはなし①英語と日本語の言語系統について

私たち日本人は、小中学校入学後に必修科目として英語を学ぶことになっています。ただ、「勉強しても英語が上達しない」と感じている方々も多いのではないでしょうか。巷では「日本の英語教育は間違っている」、「読み書き偏重ではなく、実践的な話し言葉を学ぶ必要がある」など教育の問題点を指摘する声も聞こえてきます。たしかに言語教育の方法を議論するのは、言語習得について考えるうえで不可欠です。しかし、言語習得がうまくいかない原因を教育だけに求めるのは難しいでしょう。例えば、筋トレを経験したことのない人がいきなりベンチプレス100キロを持ち上げようとしてうまくいかず、「フォームが正しくないのかもしれない」とさまざまな持ち上げ方を変えてみたところで、100キロの重りを持ち上げられるわけではありません。

上の例えで何を表現したかったのかと言いますと、日本語話者にとって、そもそも英語を習得すること(≒英語を運用すること)は、ベンチプレス100キロを持ち上げる程度には難しいということです。一方、フランス語やドイツ語、イタリア語など、ヨーロッパ言語の話者にとって、英語習得の負荷は日本人にとってのそれほどには重くありません。なぜでしょうか?

本日は上の問いに回答するべく、言語の系統、特に「語族」についての話をしてみたいと思います。少し遠回りをすることになりますが、興味深い話だと思いますので、お付き合いください。

さて、言語の系統とはなんでしょうか。みなさんは「○○語と◎◎語は似ている」とか「××語は△△語は近い」という表現を耳にしたことがあるのではないでしょうか。具体例を挙げますと、英語・ドイツ語・オランダ語は近親関係にあるとされています。フランス語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語も同様の関係です。さらにこれらの言語はすべてある種の共通項を持つ兄弟のようなものだと言われています。このような近親関係とは、いったい何を根拠に主張されているのでしょうか。その答えが言語系統です。18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパでは比較言語学という学問が盛んになりました。比較言語学とは、大まかに言えばある言語とある言語の語彙や文法を比較し、それらの近親関係を明らかにするという学問です。簡潔に言えば、いろいろな言語を分類するための学問です。

生物学の中にも生物を分類するための学問、生物分類学が存在します。生物の分類が、「目」や「科」といったレベルで分けられていることはご存知かと思います。例えば、「ヒト」という動物は「動物界・脊椎動物門・哺乳綱・霊長目・ヒト科・ヒト属・ヒト」というように分類されていますね。言語の分類もこれに似た構造を持っています。例えば英語は「インド・ヨーロッパ語族・ゲルマン語派・西ゲルマン語群・アングロ・フリジア語群・英語」という系統に分類されています。生物の分類と同じく、一番左の「語族」が最も大まかな分類レベルになります。

上記の通り、英語は「インド・ヨーロッパ語族」という語族に分類されています。「インド・ヨーロッパ語族」には、その名の通りヨーロッパからインドまでの広大な地域で話される多くの言語が含まれています。ヨーロッパの主要言語、例えば、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語、スウェーデン語、デンマーク語、 ノルウェー語、ロシア語、 ウクライナ語、セルビア語、アイルランド語、ヒンディー語、ペルシア語などなど、さまざまな言語がインド・ヨーロッパ語族に含まれます。これらの言語は、同じ語族に含まれていることから分かる通り、文法的・語彙的にある程度の共通性が認められます。厳密に言えば、インド・ヨーロッパ語族に含まれる言語もさらに「ゲルマン語派(英語・ドイツ語・オランダ語など)」、「イタリック語派(フランス語・イタリア語・スペイン語など)」、「スラヴ語派(ロシア語・ウクライナ語・セルビア語など)」、「ケルト語派(アイルランド語など)」などの下位分類に分かれているので、その中での近似性の度合いには違いがあるのですが、それでもある程度の共通性を持つことは事実です。

これでヨーロッパ系の言語を話す人々が英語ネイティブではないのにもかかわらず英語を流暢に操る理由が分かったのではないでしょうか。例えばインド・ヨーロッパ語族の言語のネイティブにとって、同じ語族に含まれる英語を習得することはそれほど困難ではないのです。もちろん外国語には違いないので努力は必要ですが、先ほどのベンチプレスの例で言えば、20キロとか30キロとか、そのくらいの負荷になると考えても言いかもしれません。日本語話者が100キロの重りを持ち上げなければならないことを考えると、インド・ヨーロッパ語族の言語話者は英語習得において大きなアドヴァンテージを持っていることになりますね。我々日本語話者にとって、これほどうらやましいことはないようにも思われます。

それでは私たちの母語である日本語はどのように分類されているのでしょうか?日本語の言語系統は、ずばり「孤立した言語」です。「孤立」などというのは衝撃的な文言ですよね。残念ながら、現在の言語学的な見解では、日本語と同じ系統を持つ言語は現状では存在しないとされています。沖縄の方言を琉球語という一つの言語として見る学説も有力なので、日本語と琉球語をセットで「日本語族」と言うこともあります。が、それでもこの二つの言語が孤立した言語であることには変わりありません。日本語の文法は、韓国語、アイヌ語、モンゴル語、トルコ語、フィンランド語などと似ているとされ、これらの言語をまとめて「アルタイ語族」とする学説が提唱されたこともあったのですが、この学説は論証に欠陥があり現在では支持されていません。他にも多くの人々が日本語と他の言語を比較して、近親関係を突き止めようとしたのですが、現在の科学では誰も日本語と他の言語の近親関係を証明することはできませんでした。つまり、日本語は言語系統的には兄弟のような言語を持たない、いわば一人っ子言語なのですね。

言語系統という考え方については、一つ注意すべき点があります。同じ語族の言語たちは文法や語彙に共通点を持つと書きました。これは多くの場合正しいと言えるのですが、言語系統だけが言語の近似性を証明するわけではない、という点には注意が必要です。例えば、日本語には中国語から流入した語彙(外来語)がとても多いですね。それは、日本語が歴史的に古代中国語(漢文)の影響下におかれ、多くの語彙を取り入れてきたためです。ただし、中国語は「シナ・チベット語族」という語族に属しており、言語学的には日本語とはまったく別の言語系統に分類されています。漢字は表意文字なので、日本語話者は中国語の漢字を見ればなんとなくの意味は分かりますが、日本語と中国語は文法的にまったく似ていませんし、中国語の音声を聞いても日本語話者はほとんど理解することができません。

少し話が逸れてしまいましたが、日本語は言語学的には「孤立した言語」と呼ばれる寂しき一人っ子言語であり、一方英語は「インド・ヨーロッパ語族」に分類される大家族の一員であることが理解できたかと思います。一人っ子言語の話者である日本語ネイティブにとって、似ても似つかない言語である英語を習得することは非常に困難であることも、なんとなくご理解いただけたのではないでしょうか。日本語には英語から流入した外来語も多いですが、先ほど中国語の例でご説明した通り、外来語は言語理解や習得の助けにはあまりなりません。

本日は言語系統や語族といった観点で、なぜ日本語話者にとって英語習得が難しいのかということを解説してきました。内容はご理解いただけたかと思いますが、「難しいことは分かったけど、じゃあどうすれば英語ができるようになるの?」という声が聞こえてきそうですね。そのお気持ちは良く分かります。誰もが英語を簡単に習得する方法を探しているからこそ、英語学習は一大市場として成長しているわけです。しかし残念ですが、言語学の力も持ってしても、難しい言語を瞬時に習得するような方法は考案されていません。筋トレと同じく、低い負荷から時間をかけて少しづつ習得していくことが、英語(外国語)習得への唯一の道なのかもしれません。言語を習得するのには負荷が必要なんですね。しかし、このような負担をほぼすべての日本語話者が強いられている現状には、やはり疑問を呈する声があっても不思議ではないと思います。言語取得にはどうしても時間がかかってしまうのですが、その時間を他のことに使えば、自身にとっても社会にとってもより良い結果が出るかもしれないですから(ノーベル賞受賞者のなかにも、英語が流暢ではない科学者は多くいますよね)。そういう意味で、「英語帝国主義という考え方①」で示した考え方は重要な意義を持っているのではないかと思います。また、自然言語処理の技術進歩は目覚ましいものがあり、そもそも人間が自らの力で外国語を習得することの意義が薄れつつあるのかもしれません。そういう時代が来れば、また別の問題が露わになってくるのかもしれませんが、やむをえず英語習得に貴重な時間を割かなければならないような状況も変わってくるでしょう。

本日は英語と日本語の関係性にフォーカスして言語系統について語ってみたのですが、言語系統という概念は非常に奥深く汎用性があるものです。今後は英語以外にさまざまな言語について、この観点から論じていきたいと思います。世界には実に数千種類もの言語が存在するとされています。普段は馴染みのないような言語も、言語系統という観点から体系的に論じることができると考えると、なんだかわくわくしてきますね。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。