知られざるユーラシア③バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)

本日は「知られざるユーラシア③」として、バルト三国を取りあげたいと思います。ヨーロッパに位置するバルト三国を「ユーラシア」と呼ぶのはあまり適当ではないかもしれませんが、一応ソ連の構成国であった歴史から、こう呼んでおきたいと思います。

バルト三国は、タイトルにある通り、エストニア共和国、ラトビア共和国、リトアニア共和国の三国を指します。これら三国はそれぞれ東の国境をロシア連邦と接し、西はバルト海に面しているため、「バルト」という風に呼ばれています。どの国も面積は北海道以下で、とても小さな国々です。昨今では旅行先としても人気を獲得しつつあり、また経済的にも成長を遂げている国々なので、日本にいる皆さんもこれらの国々の名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。

バルト三国はたしかにソヴィエト連邦を構成する15共和国の一部だったのですが、その歴史や立ち位置は他の共和国とはかなり異なります。この点を理解するために、少し歴史をさかのぼる必要があります。1940年まで独立国家として存在し、その後ソ連に「併合」されたバルト三国の人々の多くは、歴史的にソ連への対立意識を持っており、ソ連時代からすでに独立運動を展開していました。ソ連崩壊前の1990年、リトアニアはソ連からの独立を宣言し、エストニアとラトビアもこれに続きました。ソ連の崩壊にはさまざまな要因が存在したのですが、バルト三国の離反もその原因の1つであったと言えるでしょう。

バルト三国のソ連からの独立に際して1989年に行われた「バルトの道」は、歴史に残るデモンストレーションとして非常に有名です。このデモでは、バルト三国から200万人の人々が集い手をつないで、三国の首都(タリン・リーガ・ヴィリニュス)を結ぶ600kmの道を鎖のように繋ぎました。それぞれ独自の言語や文化を持つバルト三国ですが、「バルトの道」は「ソ連」という共通の敵を前にして連帯した事例です。その後も、バルト三国は政治的、文化的に協調する姿勢を示しています。このような背景から、バルト三国は現在でもソ連に対して悪印象を抱いている人々はかなり多いです。また、ソ連の実質的な中心国であったロシアに対しても、敵対的な姿勢を示しています。

もともとロシア帝国領であったバルト三国はロシア革命後、それぞれ1918年に独立国家として主権を獲得しました。その独立を脅かしたのが第二次世界大戦中にナチス・ドイツとソヴィエト連邦との間で結ばれた独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定)です。この条約の主な内容は、条約のタイトル通りドイツとロシアの相互不可侵であり、この内容は天敵と考えられていたヒトラーとスターリンが手を結んだことを意味するために、日本を含め世界中を驚かせました。しかし、この条約には秘密議定書が含まれており、そこにはバルト三国の併合も記載されていました。そして、1939年にはバルト三国は実質的にソ連に占領され、1940年にはそれぞれの国々にソヴィエト政権(エストニア・ソビエト社会主義共和国、ラトビア・ソビエト社会主義共和国、リトアニア・ソビエト社会主義共和国)が成立し、ソ連の一部となりました。さらに、ソ連への併合後もバルト三国の受難は続きます。スターリン政権下では多くの人々が処刑されたり、シベリアへ流刑されたりしました。特に、各共和国の民族語や民族文化への弾圧は厳しく、エストニア語、ラトビア語、リトアニア語に代わりロシア語が多く話されるようになりました。このような経緯から、現在でもバルト三国の住民のなかにはソ連とロシアに対して強い抵抗感を持っている人が多いのです。そして、1991年のソ連崩壊後にバルト三国は独立、主権を回復しました。ロシア語は公用語から外され、それぞれエストニアではエストニア語、ラトビアではラトビア語、リトアニアではリトアニア語が唯一の公用語となりました。これでめでたしめでたし、ということになりそうですが、問題はまだ続いています。ソ連時代には、ロシアを始めとするソ連の各共和国からバルト三国へ人々が移住してきました。彼らのほとんどはロシア語を話す人々です。例えばラトビアでは、人口の4分の1以上がロシア語話者とされています。しかし、これらの人々もソ連崩壊後はラトビア語を使用せざるをえない状況となり、新たな社会問題となっているのです。

上記の通り、バルト三国はロシアとは対立する路線をとっており、2004年には欧州連合(EU)加盟国となりました。また、ヨーロッパ内で国境検査なしでの往来が可能となるシェンゲン協定の加盟国でもあります。これにより、バルト三国の国民は国内と同じ感覚でフランスやドイツなど欧州主要国へ行ける一方、ロシアやベラルーシ等の隣国へはビザを申請しなければならない状況となっています。バルト三国では過去の公用語であるロシア語もまだまだ健在ですが、現在では英語の通用率が非常に高く、日本人の旅行先として人気が高まっている理由でもあります。

経済に着目すると、バルト三国は旧ソ連各国の中でももっとも豊かな国々であると言えます。特に2000年から2006年にかけて、バルト三国は10%をも超える経済成長率を記録しました。この目覚ましい経済成長によりバルト三国は、同じく経済成長を遂げた「アジアの4頭の虎(香港・シンガポール・台湾・韓国)」や「ケルトの虎(アイルランド)」にならって「バルトの虎」と呼ばれるようになりました。しかし、その経済成長はリーマン・ショックによって収束してしまい、現在では回復しつつあるものの、経済成長は停滞してしまいました。この経済成長によって国民の所得が大幅に増加することが見込まれていましたが、停滞とともにその展望も閉ざされてしまいました。とはいえ、ソ連崩壊後の独立直後にはとても貧しい国々であったバルト三国が、この時期に大幅な経済成長を遂げ、国民の生活が豊かになったことは事実です。現在ではバルト三国はそれぞれユーロ圏に組み込まれています。バルト三国のなかでも特にエストニアの一人当たりGDPは高く、ギリシアより高くなっています。エストニアはイスラエル、スロベニアとともに、2010年に先進国が多く参加する経済協力開発機構(OECD)に加盟し、ラトビア、リトアニアもそれに続きました。バルト三国を他の旧ソ連諸国と比較すると、経済力の差は歴然としています。一人あたりの名目GDPで比較すると、エストニアが19,735ドル、リトアニアが16,730ドル、ラトビアが15,550ドルとなっているのに対し、ソ連の中核国だったロシアは10,955ドル、ベラルーシが5,727ドル、ウクライナが2,656ドルとなっており、かなり大きな差があります。さらに、旧ソ連最貧国タジキスタンの一人あたりGDPは800ドルで、エストニアとは25倍近くもの差が出ています。もともとはソ連という同じ国家に含まれていたのも関わらず、ここまで所得に差が出てくるのは驚きですね。以上のように、現在のバルト三国は「バルトの虎」と言われた当時ほどの勢いは保っていないものの、依然として旧ソ連諸国のなかではもっとも豊かな国々であり、ほぼ先進国と言っても良い経済状況となっていることがわかります。

さて、上では「バルト三国」として3ヶ国を一くくりにして語りましたが、以下ではそれぞれの国々を個別に見てみることにしましょう。すでに書いた通り、バルト三国は言語的にも文化的にも独自性のある国々なのです。

バルト三国および旧ソ連のなかでももっとも豊かな国であるエストニア共和国は、エストニア語を話すエストニア人が主体となっている国家です。エストニア語はフィン・ウゴル語派・バルト・フィン諸語、という系統に分類され、フィンランド語に近く、他のヨーロッパ諸語とはまったく別系統の言語です。エストニアは言語的に非常に近いフィンランドと海を挟んで面しているので、両国間は船での交流が盛んとなっています。エストニアはIT立国として名高く、かの有名なインターネット電話サービス・Skypeはエストニアの首都タリンで開発されました。また、エストニア出身の力士として日本で有名なのが、把瑠都凱斗さんですね。世界遺産にも登録されているエストニアの首都タリンは中世の面影を残し、フィンランドのヘルシンキから船で日帰りできるため、日本人旅行客のあいだでも比較的メジャーな観光地となってきています。このように、エストニアは日本との接点も多く、日本人にとってもっとも訪れやすい旧ソ連諸国のうちの1つでしょう。

エストニアの南に位置しているのがラトビアです。ラトビアはラトビア語を話すラトビア人が主体の国ですが、上述のとおり人口の4分の1近くはロシア系住民が占めています。ラトビア語はインド・ヨーロッパ語族・バルト語派に属する言語で、後述するリトアニアと近縁です。バルト三国の中央に位置するラトビアですが、首都リーガはゴシックな尖塔が特徴の街並みを持ち、世界遺産にも登録されています。リーガは人口69万人を抱える大都市で、バルト三国の他の都市とは異なり、大都会の雰囲気を持っています。

ラトビアの南に位置し、バルト三国最大の領土を持つ国がリトアニアです。リトアニアはリトアニア語を話すリトアニア人が主体の国です。リトアニア語は上述のラトビア語に近い言語ですが、ヨーロッパの言語でももっとも古い特徴を残している難解な言語の一つとされ、サンスクリット語とも近いと言われるほどに古風な性格を有しています。首都ヴィリニュスは隣国ベラルーシとの国境近くに位置し、なだらかの丘にあるのどかな街です。ヴィリニュスもタリンやリーガと同じく世界遺産に登録されています。リトアニアと言えば、日本人の外交官である杉原千畝が活躍した国として有名です。杉原千畝はナチス・ドイツに迫害されるユダヤ人たちに対して、「命のビザ」と呼ばれる日本行きのビザを発行したことで有名ですが、リトアニア人のほとんどが彼の名前を知っています。そういう意味では、バルト三国のうちでも日本人にとってもっとも馴染み深い国なのかもしれません。

本日は「知られざるユーラシア③」として、旧ソ連のなかでも異彩を放つ国々であるバルト三国を取りあげました。ソ連からの独立後にヨーロッパへと回帰し、経済成長を遂げ、EUやOECD加盟まで果たしたバルト三国。今後もロシアを始めとする旧ソ連諸国とは距離を取り、ヨーロッパの国の1つとして成長していくものと思われます。

バルト三国の他にも、旧ソ連には中央アジアやコーカサス三国など、興味深い国々が多く残っています。今後もこれらの国々の概要と現況をご紹介できればと思っていますので、ご期待ください。

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武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。