ナショナリズムについて①伝統の復活――なにを「取り戻す」のか――

本日は少しデリケートな話題ではありますが、「ナショナリズム」という概念を「伝統」という観点から考えてみたいと思います。テーマが難しいので、記事いささか難解かつ分かりにくくなってしまうかもしれませんが、お付き合いください。

我々日本に住む人の多くは、「日本人」とはなにか、ということを改めて考えたことはないかもしれません。日本人が他の「民族」とどのように区別されるのか。区別できるものがあるとしたらそれは言語なのか、国籍なのか、血統なのか、と考えていくと、明確な答えを出すことが難しいことに気付きます。

言語を民族の識別基準と考えた場合、日本語を日本人と同等に話す外国人の扱いが問題となります。国籍を基準とする場合、日本に帰化した人々は民族として日本人なのか、という問題が出てきます。また、血統を基準にした場合、先祖をどこまで遡るか、といった問題があります。「日本人」とはなにか、という問題は、それが差別にも繋がるデリケートな話題であることから、あまり積極的に論じられることはありません。

そのような状況にあってもなお、「日本人らしさ」とか「日本人に生まれて良かった」などという声は良く聞かれます。また、「日本は日本人の単一民族国家である」という意見も目にすることがあります。

このような考え方、すなわち「民族」と「国境」が一致すべきである、という思想を「ナショナリズム」と呼びます。より正確に言えば、ナショナリズムとは「ネーション」に関する概念であり、この「ネーションNation」は日本語では「民族」とも「国民」とも訳されてきました。政治学者ベネディクト・アンダーソンは「ネーション」を「想像された共同体」と呼び、それは思想というよりの宗教に近いものだと定義しています。我々がなんとなく、「日本人らしい」とか「和風」と言ったとき、自ずと想起されるものこそがナショナリズムの断片なのかもしれません。

アンダーソンによれば、ナショナリズムは南米の旧植民地諸国に端を発し、その後ヨーロッパに広まったとされています。ヨーロッパでは19世紀から20世紀にかけて、ナショナリズムが歴史的に重要な役割を果たしました。ヨーロッパのナショナリズムにおいて、ネーションを峻別する重要な基準となったのは「言語」です。フランス語を話すフランス人、ドイツ語を話すドイツ人、ロシア語を話すロシア人といった区別が一般的になったのはこの時代なのです。それまでのヨーロッパにおいて居住国と言語が一致している必要性はまったくありませんでした。例えば、ロシア帝国の皇族や貴族の多くはロシア語を話せず、基本的にフランス語を話していました。トルストイ『戦争と平和』の冒頭はフランス語のダイアログから始まりますが、これは彼らがロシア語ではなくフランス語を常用していたことを示しています。

ナショナリズムが流行した時代、各国はそれぞれの国の言語の辞書を編纂することに躍起になりました。アカデミー・フランセーズを擁するフランスは、標準的なフランス語の辞書編纂を積極的に行いました。これに続いて、ドイツではドイツ語、ロシアではロシア語の標準的な書き言葉が整備されていきました。

上のようなナショナリズムの流れは、フランス、ドイツ、ロシアといった巨大な集団に限らず、小さな集団にまで波及するようになります。「弾薬庫に火が付いた」と喩えられるほど、多くの民族がそれぞれの言語で標準的な書き言葉を整備しようと試みるようになったのです。19世紀から20世紀の初頭にかけて、チェコ、ハンガリー、ギリシャ、フィンランド、ウクライナ、ルーマニア、ポルトガル、セルビア、クロアチアなどといった小国も、この動きに参画していくことになります。このようにして言語を整備し、各言語集団は自分たちの領土を要求し、ロシア帝国やオーストリア・ハンガリー帝国と言った巨大な帝国からの独立を目指すようになります。1848年の革命は「諸国民の春」と呼ばれ、ウィーン体制と呼ばれた帝国を中心とするそれまでの体制が崩壊し、さまざまな国民国家が誕生しました。さらに、ロシア革命や第一次世界大戦により、ロシア帝国・オーストリア・ハンガリー帝国・オスマン帝国が崩壊し、それらに含まれていた民族がほとんど独立しました。

上のような流れにおいて、各民族はさまざまな形式で自らが国家を形成することの正当性を主張しました。そのうちの一つが上記のような辞書の編纂による国民言語の創出です。チェコのナショナリストは、チェコ語の正統性を根拠付けるために古文書をねつ造し、自分たちの言語が古くから使用され歴史にも残る伝統的なものであることを強調しようと試みました。それ以外にも、各国ではさまざまな「伝統」が創造されていました。有名なのは、歴史学者ホブズボームが題材としたスコットランドのキルトです。キルトはスコットランドの伝統衣装として知られていますが、実際にはこのような伝統は後の時代に創られたものにすぎないと指摘されています。

チェコやスコットランドに見られる事例は、日本の場合にも同様に認められます。例えば、現在の中学校教育では武道が必修とされています。武道必修化の理由としては、「伝統と文化の尊重」が挙げられています。必修となっている武道としては柔道や剣道があります。柔道や剣道は日本の伝統文化だと思われがちです。しかし、柔道は1882年に伝統的な柔術をもとに創られた新しい武術体系であり、剣道も同様です。そもそも「武道」という概念は、明治維新後に創出された近代的な概念であり、これを「伝統」と呼ぶのは無理があるかもしれません。実際、武道には伝統的な柔術や剣術のエッセンスは含まれているものの、その体系自体は明治時代以降に創られたもので、そういう意味では、武道も「創造された伝統」の一つだと言えるでしょう。「日本らしさ」の象徴として知られる桜もまた、近代になって日本の象徴と考えられるようになった花です。江戸時代には桜は象徴としては根付いておらず、桜の家紋もメジャーではありません。また、真に日本の伝統と言える皇室の象徴は菊花紋章であり、桜ではありません。このように、桜は歴史的には日本の伝統的な象徴ではなかったのですが、大正時代以降に「日本らしさ」の象徴として考えられるようになってきたようです。このように具体例を挙げていくと、現在日本の「伝統」とされているものの多くは、明治維新以降に「発明」されたものだと言えるでしょう。

上記のような「伝統」や「象徴」の発明を繰り返すことにより、ナショナリストは漠然とした民族意識や国家観を実体化し、根拠付けようとしてきました。ナショナリストによって頻繁に主張されるのが、「民族の復興」や「古き良き国を取り戻す」というレトリックです。このようなレトリックは、19世紀から現在に至るまで長い間使われてきたように思われます。このような主張は現在の欧米諸国でも日本でも同様に聞くことができます。ここで問題となってくるのは、彼らが復興させ、取り戻そうとしているのは何のか、ということです。彼らが目指しているのは、古き良き「伝統」が復活し、尊重され、敬われる世界だと言うことはわかります。しかし、ここでいう「伝統」は、多くの場合近代に「発明」されたものであって、実際に歴史上存在してきたものであることは稀です。例えば、武道的な精神を尊重する社会を目指すことは可能ですが、武道が近代になって発明されたものである以上、そのような社会の実現を「伝統の復活」と言ってしまえば、時代的・論理的な矛盾が生じてしまいます。このように、ナショナリズムには論理的矛盾が存在しているのですが、一見その主張は明快であり、だからこそ多くの支持者を獲得し続けています。多くの人が共同して「伝統を復興する」という作業は、非常にロマンティックであり、なんだか学校の文化祭に参加しているような、ある種の充実感や達成感をもたらしてくれるものです。しかし、「復興」や「取り戻す」というレトリックの裏には、伝統や歴史のご都合主義的な「発明」があり、ナショナリストの主張はそれを下敷きとしていることには注意する必要があるでしょう。

念のため断っておくと、この記事ではナショナリズムの是非について意見するつもりは毛頭ありません。ナショナリズムは一つの現象であり、それについて考察するときには、政治的主張から一歩引いて冷静になってみる必要があると思います。近年ではナショナリズムについての学説にも新しいものがどんどん出てきているのですが、やはりナショナリズム研究のベースとなる書籍としては、上で触れた大御所ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』やエリック・ホブズボウム『創られた伝統』、アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』を読んでおく必要があるでしょう。これらの本を読むと分かるのですが、ナショナリズムについての研究は「ナショナリズム」という単語の定義自体から揺れがあるため、一般に想定されている以上に複雑で難解です。上に挙げた研究者たちでさえ、迷いや葛藤のなかでこのテーマを扱っていることが分かります(研究者の人たちはみんなそうなのかもしれませんが)。本日の記事では、「伝統」という観点に重きをおいてナショナリズムについてなるべくわかりやすく書こうと思ったのですが、やはりブログの文字数でまとめるには無理があったかもしれません。日本の卑近な例を出すことで余計わかり辛くなってしまったかもしれませんね。そのため、これをきっかけにぜひとも上に書いた研究書を読んでいただき、ナショナリズムについての理解を深めていただければと思います。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。