生(せい)と音楽

こんにちは。渡邊拓也です。

以前にブログでギルバート君が書いた、「受精卵が細胞分裂していって体の組織となっていくにあたって、その細胞はどこの体の部位になるのかはどういうわけか決まっていくわけだが、なぜだかは未だに解明されていない」という問題は、とても興味深いものに思います。そして、この世界は目に見えないものの働きが、簡単に見えるものよりも働きが強く、謎と神秘に包まれていることをよく表している一例なのではないでしょうか。

万物の根源はなんだろう、そんなことを誰しも考えることがあった、もしくはあると思います。何かはっきり分かるものがあったら、ちゃんと「これ!」と分かりたい気もするし、なんとなくはわかっている、感じているけれど、「これがこうなっているからこう!」と、理屈で聞きたくもないような気もする、僕にとってはそんな対象のものです。

もし僕が音楽を深くやっていなかったとしても、文学や哲学、数学を通じて考え、あるいは探求していったかもしれません。それほど、人間、生き物としての、生命体がなかった時代からの果てしない流れの中に生きている者として、魅力的であり、一生かけて探求し続けたいもの(状態)です。

人間が真に人間であるということはどういうことか。そんなこともよく考えた時期がありました。

資本主義の現代社会に生きる私たちは、仕事をしてお金を稼ぎ、そのお金で生活をし、というベースの中で生きています。その生活スタイルの根源は太古から脈々と受け継がれ、姿を変えつつ今日まで生き残っています。それも、もちろん人間の姿の大事な一面であります。

しかし、それに終始してしまって、人間が「生物である」「自然の一部である」ということを意識しなくなり、生き物としての機能、能力が弱体化されてしまうのは、僕は本末転倒になってしまうと考えます。第一、芸術はそんな人間の根源、世界の根源や真理を扱う分野であるので、その分野に携わっている自分は、少なくとも現代社会に生きる者としてだけではなく、生き物としての「生」を全うしようと思っています。

その念が僕の音楽活動でどこに現れているかといえば、その最も基礎となるものは、即興演奏です。もっと言えば、ヴァイオリンの即興演奏です。

即興演奏は、自分の内部から生まれるものに正直になって演奏します。それが調性の中にいても、そこから少し外れたような動きをしても、心に正直に演奏できていれば、それは立派な即興演奏です。

心に正直に、をもっと噛み砕いて言えば、体内エネルギーの流れ、「今」の連続の中、細胞の求める流れに正直になって演奏する、ということです。

これは、ある枠に従って演奏することとは真逆の行為、遠心性の行為なので、状態で言えば、ほとんど本能のみで生きる生物が、意識されない内的な指針を元に、「今」を生きている状態に、根元の近い行為だと思っています。

それを極めていくことによって、音楽の時間がより「生」の感覚、言葉にならないその「生の状態」をありありと体現できる、そんな音楽家であり人間になれると思ってやっております。

その状態を理屈抜きにわかることを基礎にして、音楽理論やシンボル(言語も含まれる)の力を借りることで、より高度な即興演奏や、作曲につながっていき、それがまた人類にとって、新しい正解を生み出します。

そして、即興演奏を深めていくことで、大作曲家をはじめとした、他の人が作曲した曲の演奏にも、「自分の内側からの楽曲の理解が可能になる」というメリットが生まれ、今も演奏の仕事の上で、重要な基礎であり続けています。

生き生きとした音楽を求め、届けていきたい。そんな思いの根源を綴りました。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音楽大学、同大学大学院ヴィルトゥオーゾコースを修了。 音楽でしか表現出来ない世界に魅せられ、独学で作曲を勉強する。 大家の作品の演奏のみならず、「この世にかつてない、新しい音楽を作る」「自分の感じる世界を余すことなく表出する」という理念の元に、創作や独自の響きの研究も行っている。大学の専攻はピアノだが、ヴァイオリンも演奏する。