憲法のはなし②幸福になる権利――幸福追求権について――

以前こちらのブログでは、「憲法の意味」というテーマで日本国憲法について解説しました。憲法についての概要の説明はしたのですが、実際に憲法が国民の生活のなかでどのように機能しているか、ということは書いていませんでした。
憲法は自分たち国民1人1人とはあまり関係ないように思ってしまうのも正直なところです。憲法についてニュースで聞くことはあっても、自分たちの私生活ではほとんど話題に上がりませんし、憲法について考えるための時間なんて無い、という方も多いはずです。しかし実際には、私たちの生活は憲法の規定なくしては成り立たないものです。憲法はさまざまなルールを規定しているのですが、それはなんのためにあるのでしょうか。ルールには目的があるはずですよね。
以前にも少し書いた通り、憲法は国家と不可分な関係にあるものです。国家がなぜ存在するのかというと、大雑把に言えば、国民の安全や生活を保障するためにあります。対外的には、国民を他国の侵略などの脅威から守り、対内的には、国民を殺人などの犯罪から守るために国家は存在しています。その目的を果たすため、国家は軍隊や警察と言った強力な権力を持ちます。国家がその目的通りに権力を使えれば良いのですが、実際にはその強大な権力を使って、国民を迫害したり弾圧するような国家も歴史上たくさん存在しました。むしろそういう国の方が歴史には多かったのです。そのような事態を防ぐための、国民と国家の関係を規定し、国家が国民に対して保障しなければならない自由や権利を規定したのが憲法です。つまり、かなり大まかに言えば、憲法は国民の権利を守ることを目的としているのです。
情報化によるプライバシーの侵害やセクシャルマイノリティ(LGBT)に対するハラスメントなど、現代になってから注目されてきた権利問題も多く存在します。国民の権利を守るために存在する憲法ですが、戦後すぐに作られた日本国憲法は、このような極めて現代的な問題に対処することができるのでしょうか?戦後すぐの時代には、当然ながらインターネットもありませんし、同性愛者の存在もタブーだったはずです。そんな時代に作られた憲法が、これら新しい問題を解決できるのか。結論から言えば、現在的な問題を解決するための糸口は憲法にあると言えます。つまり、日本国憲法は、憲法の規定では守れない権利が将来出てくることを予想して作られているんですね。具体的にはどのように予想し、どのようにそれに対処しようとしていたのかを考える前に、憲法が国民の権利をどのように保障しているのか、を見ておくことにしましょう。
憲法では「基本的人権」として、「自由権」・「社会権」・「参政権」の3つを保障しています。「自由権」とは、大まかに言えば国家から自由であるための権利です。具体的には、「悪いことをしていないのに国に身体を拘束されない」権利(身体的自由権)や、「どんなにヤバい思想を持っていても逮捕されない」権利(精神的自由権)などを保障しています。「社会権」は、人間が人間らしく生きていくための権利、有名な「健康で文化的な最低限度の生活」を保障しています。参政権は読んで字のごとく、政治に参加する権利のことです。
「自由権」・「社会権」・「参政権」のうち、特に自由権は基本的人権の中心的な位置を占める大切な権利とされています。というのも、何もしていないのに警察に逮捕されて牢獄されたり、ヤバい妄想をしただけなのに実際にそれを実行したのと同じ扱いを受けたり、といった事態を防ぐための権利だからです。歴史上、国家は実際にそのようなことを国民にしてきたので、それを防ぐ条項をわざわざ書いておく必要があるわけです。「自由権」にもさまざまな種類があります。例えば、上に挙げたものの他にも、「どんなことでも言って良い権利(表現の自由権)」、「どんな神様でも信じて良い権利(信教の自由)」、「仕事を自分で選ぶ権利(職業選択の自由)」などなどがあります。わざわざ憲法に書いてあるということは、過去には国家がこれらの権利を侵害してきたことを意味します。
日本国憲法はぜんぶで103条あるのですが、そのうち「基本的人権」について規定しているのは、第13~第40条です。そのなかで、上記のようなさまざまな自由権が具体的な形式で規定されています。たとえば憲法18条は次のように規定しています。
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」
これは、「みんなどんな宗教信じてもいいけど、誰かに特定の宗教を押し付けたりするのはだめだよ」ということが書いてあるわけですね。このように、憲法では具体的な自由権についての記述があります。これで「今日からこの国のみなさんには○○教を信仰してもらいます」となったとき(ならないですが)、「憲法18条違反です」と却下できるわけです。
一方で、冒頭で書いたように、憲法が規定していない権利問題が発生する場合もあります。例えば、プライバシーを侵害された場合がそうですね。憲法には、プライバシーの侵害に関する具体的な規定はありません。しかし、憲法はこのような未知のケースをも想定していると書きました。その想定のもとに規定されたのが、憲法第13条です。第13条には次のようにあります。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は「幸福追求権」とされ、この幸福追求権に基づいて、国民は新しい人権を主張することができるとされています。この規定が新しい人権の根拠として注目されたのは、高度経済成長で社会が大きく変わり、憲法が規定していない問題が生じてきた1960年代以降だと言われています。
なお、幸福追求権はたしかに新しい人権、つまり自由を主張する根拠なのですが、なんでもかんでも自由を許すための規定ではありません。幸福追求権が保障しているのは、「あらゆる生活領域に関する行為の自由」ではなく、「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体」だとされています。言葉は難しいですが、個人のわがままを許すということではなく、それが欠けたら人格も失われてしまうような重要なことについての自由を保障しているのが、幸福追求権なのです。
幸福追求権に基づく新しい人権は、これまで書いてきたとおり、あらかじめ憲法に規定されているのではなく、国民一人一人が主張することによって確立されます。どのように主張するのかというと、基本的には裁判所に訴える形になります。さて、具体的にはどのような幸福追求権がこれまで主張されてきたのでしょうか?
これまで幸福追求権に基づく新しい人権として主張されてきたものは、プライバシーの権利、環境権、日照権、静穏権、眺望権、嫌煙権、健康権、平和的生存権などさまざまなものがあります。これらの新しい人権は主張したらすぐに国が保障する人権として認められるわけではありません。裁判として提訴し、裁判所が慎重な審理を重ねてその権利を認めたときに初めて、新しい人権として確立するのです。
それでは、上記のようなさまざまな新しい人権のうち、裁判所が公式に人権として認めたのはどのようなものなのでしょうか?残念ながら、裁判所がこれらの人権を認めることは珍しく、これまでに正面から認められたのは、「プライバシーの権利としての肖像権」くらいのものです。
1964年、三島由紀夫が発表した小説『宴のあと』のなかで、プライバシーの侵害があるとして、モデルとなった人物が原告となって提訴し、裁判所はこれをプライバシーの侵害と認めました。その後もプライバシーの権利は自由権の一つとして知られるようになり、現在でも良く耳にする人権の1つとなっています。
また、プライバシーの権利は当初、個人の私的な領域に他人を踏み入らせないための権利でしたが、情報化の進展に伴って「自己に関する情報をコントロールする権利」として「情報プライバシー権」に発展しました。SNSやネット上での個人の「晒し」や「特定」など、自分の情報を自分の知らないところで悪用されてしまう可能性が高い現在では、非常に重要な権利の1つとなっています。
 インターネットの普及による情報化やAIの発達などにより、個人の生活が国家や大企業と言った強大な権利に脅かされる機会は今後増えてくると考えられます。これまでも憲法はそういった脅威から個人の生命や生活を守るために活用されてきたのですが、もはや既存の憲法の規定だけでは対処できないような問題も多く出てくることが考えられます。
これまでも個人情報やプライバシーと言った問題は、情報化の進展に伴って議論されてきたし、プライバシー権という権利も確立されてきました。しかし、今後家事や仕事と言った人間の基本的な営みにもAIが進出してくると、これまでに確立されてきた種類の権利では対応できないような問題が出てくるでしょう。
そうなったとき、幸福追求権のうちの1つとして新しい権利の概念を作り出し、その概念を用いることで個人の平穏な生活を護ることが求められてきます。それを考えるときに、憲法13条やそれを根拠として主張されてきたさまざまな権利について学ぶことが必須になってきます。
これまでどのような権利が主張されてきて、これから私たちはどのようにそれを活用し、新しい権利概念を作り出せるのか。それを考えることで、情報化の波にも流されないような、平穏で静かな個人の生活を守ることができるのです。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。