マケドニア問題①国名をめぐる係争

最近日本のニュースで、「マケドニア共和国の国名変更」という問題が取り上げられています。日本人にとってはまったく身近な話とはいえないので、新聞の隅に書かれているような話ではありますが、国際的には大きな意味を持つ問題です。この問題は日本のニュースでは他の話題に紛れてしまっている感もあるので、何が起こったのか、以下に簡単にまとめておきましょう。

20186月、ヨーロッパのバルカン半島にあるマケドニア共和国とギリシャは、マケドニア共和国の国名を「北マケドニア共和国」に変更するという合意を結びました。そして20191月、マケドニアの議会はこの国名変更に関する憲法の改正を承認しました。この国名変更には、欧米との関係強化を図りたいというマケドニアの意図があるとされています。日本のマスコミでは主にこのように書かれているのですが、その背景にはあまり触れられていません。

こちらのブログでは、ソ連から独立した各共和国など、一見日本人から遠いと感じられる話題から、日本人にとっても有益な情報を学び取ろうとしてきました。この問題からも、日本人が日本という国について考えるうえで、ためになる部分を見出すことができます。結論からいえば、マケドニアの国名変更問題の結末は、外交において自国のプライドよりも外国との関係から引き出せる実益を重視したものと言えます。

マケドニアの国名変更問題は、単に国の名前を変えるというような話ではありません。そもそも国の名称を変えることはさまざまな問題や莫大なコストを伴うわけですが、マケドニアの場合には特殊な事情があります。どのような事情のもとにマケドニアがわざわざ国名を変更しようとしているのか、また国名変更をすることによって誰がどのように得をするのか、以下で解説していければと思います。

さて、まずマケドニアの位置を確認しておきましょう。マケドニアは、バルカン半島の中央にあり、ギリシャ、アルバニア、コソボ、セルビア、ブルガリアに挟まれた内陸国です。といっても、ギリシャ以外の国はあまりピンとこないかもしれません。バルカン半島は歴史的に「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、さまざまな民族が集住していることから、領土紛争が多い地域でした。この辺りの事情は以前の記事で扱った旧ソ連のコーカサスと似ています。マケドニアの面積は、日本の岩手県と福島県を合わせた面積よりも狭く、非常に小さな国です。主要な公用語はマケドニア語で、マケドニア語はスラヴ語派に分類され、ロシア語やポーランド語、セルビア語などに近い言語です。また、ブルガリア語とはほぼ方言のような関係にある言語で、マケドニア人とブルガリア人は相互に意思疎通が可能です。マケドニア語はブルガリア語やロシア語と同じキリル文字が書かれる言語でもあります。

マケドニア地方.jpg

マケドニア地方の地図

「マケドニア」とは本来、このバルカン半島中央部全体を指す名称です。現在はギリシャ内陸部の地域(画像の白い部分・「エーゲ・マケドニア」)とブルガリア東部(画像の緑部分「ピリン・マケドニア」、そしてマケドニア共和国全土(画像の赤い部分)が「マケドニア地方」と呼ばれています。面積の比率で言うと、マケドニア地方のうち50%がギリシャ領、40%がマケドニア共和国領、10%がブルガリア領となっています。つまり、マケドニア地方の過半数を領有しているのはギリシャで、マケドニア共和国はマケドニア地方の半分以下を占めるに過ぎないということなのです。

面積だけでなく、歴史的な意義も重要です。高校世界史が記憶にある方はお分かりの通り、「マケドニア」といえば紀元前7世紀頃に成立した「マケドニア王国」ですね。マケドニア王国は、古代ギリシャのヘレニズム時代を象徴する国家で、アレクサンドロス大王という強力なリーダーのもと、バルカン半島から、アジア、アフリカを含む広大な領土を手中に収めました。現在のマケドニア地方全土は、マケドニア王国の領土に含まれていました。マケドニアは本来、このマケドニア王国を指す名称でもあるのです。

マケドニア王国は、前述の通りギリシャ史上の国家であり、ギリシャ系の言語が話される国でした。つまり、現在のギリシャ人と同じ系統の言語を話していたとされています。一方、現在のマケドニア共和国の公用語であるマケドニア語はスラブ系。古代マケドニアで話されていた言語とはまったく異なります。こうなると、現代ギリシャ人としては、自分たちの祖先の名称である「マケドニア」を、縁もゆかりもない異民族であるスラヴ人に「横取り」された、というような感覚が芽生えてしまいます。さらに上記のように、マケドニア地方の半分以上を領有しているのはギリシャですから、面積的にもギリシャが「マケドニア」を名乗るべきだ、という考えも生まれてきます。

そもそも現在のマケドニア共和国が「マケドニア」を国名にしたのは、1944年なので(ユーゴスラヴィアの一部だった「マケドニア人民共和国」として)、やはりマケドニア共和国の「ぽっと出」」感は否めないのです。国連はマケドニア共和国の名称を「マケドニア・旧ユーゴスラビア共和国」とすることで、調整を図っています。それでも、マケドニア人としてはマケドニアという国名に誇りを持っているはずであり、マケドニアが1991年にユーゴスラヴィアから正式な国家として独立した際には、「ヴェルギナの星」という古代マケドニアのシンボルを国旗に使用していました。しかし、この「ヴェルギナの星」の使用もギリシャ側の反発を招き、1995年にやむなく新しい国旗を制定して現在に至っています。

このように紆余曲折あって、マケドニアはその名称の「北」を付けて「北マケドニア」とすることで解決を図ろうと試みたのです。たしかにマケドニアの領土はマケドニア地方の北部を占めており、地理的には正しい名称だと言えるでしょう。さらに、ギリシャ側も「この名称なら」ということでOKを出しているので、お墨付きを得た「北マケドニア」に変更することでギリシャとの和解も確実に図れるのです。しかし、長きに渡り「マケドニア」と名乗ってきたマケドニア人たちとしては、やはりこれは苦渋の選択だったと言えるでしょう。なぜこのような解決に踏み切ったのか?そこには対ギリシャ関係にとどまらない国際関係があると思われます。

マケドニア共和国は1940年代から1991年まで、ユーゴスラヴィア連邦に含まれていました。91年にユーゴは崩壊し、そこからセルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、スロヴェニア、モンテネグロ、そしてマケドニアという、6つの共和国が誕生しました。この過程はソ連の崩壊と似ています。ソ連と違うのは、ユーゴが崩壊した後、旧ユーゴ諸国ではユーゴスラヴィア紛争という大きな戦争があったことです。これは世界史に残る非常に悲惨な戦争だったわけですが、ユーゴは現在では6つの共和国に分かれ、政情は比較的安定しています。また、旧ユーゴ諸国は、親欧米派でEUに加盟したクロアチア・スロヴェニアや、ロシア寄りのセルビアといったように、外交政策の面で二分されています。マケドニアはこれまで親欧米的な姿勢をはっきりと示したことはなかったのですが、今後はEUNATOへの加盟を目指していると報じられています。これによりロシア側からの反発は免れないと思われますが、マケドニアにとってはそれよりも欧米側勢力から得られるメリットの方が多いのでしょう。

マケドニアのようなヨーロッパの小国にとって、EUという巨大な経済圏に入り、NATOという強大な軍事力の勢力圏に入ることは、国益を守るうえでは非常に重要です。そして、マケドニアのEUNATO加盟交渉を妨げていたのが、まさに国名問題なのです。すでにEUNATOに加盟している古株のギリシャとのあいだで問題を起こしたままでは、マケドニアがこれらに加盟することは難しくなります。EUNATOへの加入のためには、ギリシャとのあいだにある国名問題を早急に解決する必要があったのです。そしてマケドニアは、国名に「北」を挿入して「北マケドニア共和国」を名乗ることで、ギリシャとの問題解決、EU及びNATOへの接近を図ったことになります。

長年親しんできた国名は国民のアイデンティティとも言えるものであり、その変更は身を切るような政策であったと言えます。国名の変更は精神的な問題にとどまらず、それに伴う金銭的・時間的コストを考えると非常に大きな決断だったと言えるでしょう。国民のアイデンティティや政府のコストを犠牲にしてまで国名を変更することによって、マケドニアは外交政策を転換し、EUNATOとの接近を図ろうとしているのです。これは国名という慣れ親しんだある種のお飾りよりも、経済や軍事といった国民の生活に関わる実益を重視した結果だと言えるでしょう。

領土や国名、言語など、国家や国民のアイデンティティにかかわる国際問題は多くあり、このような問題は日本にも無関係ではありません。多くの場合、こうした問題は苦渋の選択を求められることから棚上げされがちなのですが、マケドニアのように思い切った決断をすることにより、国益を重視した外交が可能となることもあります。

国家や国民にとっては、アイデンティティやプライドといった質的な部分も非常に重要なのですが、経済や軍事といった国益は国民の生活にダイレクトな影響を与えるという意味で、より重要です。この点で、今回のマケドニアの国名変更は日本人にとっても参考になる意思決定の手法だったと言えるでしょう。とはいえ、マケドニアの国名変更は実施が決まっただけで、野党の反発やロシアとの対立などネガティブな影響も無視できません。今後、実際に国名変更実施後に国内情勢がどのようになるのか、またこの決定が本当にEUNATOへの加盟を近づけることになったのか、今後の動向に注目していく必要があります。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。