ソヴィエト・ロックの世界①本当のロックについて

これまでこちらのブログでは旧ソ連の国々について解説してきましたが、旧ソ連の音楽については(ラフマニノフ等を除いては)、特に触れてきませんでした。ソ連、特にロシアはクラシック史に名を遺す多くの音楽家を輩出しており、日本人のあいだでも彼らについては知られていると思います。また、ロシア民謡も戦後の日本社会ではかなりポピュラーだったので、ある世代の人々にとっては親しみ深いものです。しかし、旧ソ連ではより大衆的な音楽、いわゆるロックやポップスなどのジャンルも盛んでした。

ソ連のロック、すなわちソヴィエト・ロックは、特にソ連崩壊前の若者たちに熱狂的に支持されたジャンルで、今でも旧ソ連の社会に大きな影響を与えています。むしろクラシックのような中上流階級向けの音楽よりも、ロックのような労働者や若者を対象とする音楽の方が、社会の実相を反映しているジャンルと言えるのかもしれません。

そういう意味で、ソヴィエトのロックは社会情勢と密接な関わりを持ってきた音楽ジャンルと言えます。特にソヴィエト・ロックが流行したのは、1980年代後半~90年代前半にかけて。すなわち、ソ連崩壊とソヴィエト・ロックは深く関わってきたのです。本日は、ソヴィエト・ロックという、日本ではあまり知られていない音楽ジャンルについて、当時のソ連の社会情勢を絡めながら解説していきます。

1985年、ソ連では実質的な最後の指導者である、ミハイル・ゴルバチョフがソビエト連邦共産党書記長に就任しました。ゴルバチョフは、「ペレストロイカ」や「グラスノスチ」といった政策を通し、独裁的かつ閉鎖的だったソ連の政権を自由で開放的なものにしようと試みました。これは、長年政府による抑圧を受け続けたソ連の一部の人々が自由を強く希求するようになったことと関連しています。とはいえ、1917年の建国以来強権的、独裁的な政権を続けてきたソ連が、突然自由な国になることは到底できませんでした。ソ連政府は「自由」や「開放」を謳いつつも、現実としてはまだまだ抑圧的な政策を持続していたと言わざるを得ません。

まさにこの時期、ソ連全土で若者たちの熱狂的な支持を受けたのが、ソ連のロックスターたちでした。欧米のロックの影響を受け、さまざまなバンドがソ連の音楽シーンにデビューします。とはいえ、ソ連のような管理社会では、例えばアメリカに見られるような商業ロックは存在し得ません。ソ連のロックバンドは街角の隠れ家のようなクラブなどでひっそりと音楽を奏でるようになりました。

詳細は別の機会に書きたいと思いますが、有名なバンドとしては、「キノーКИНО」、「デーデーテーДДТ」、「アクヴァリウムАквариум」などがあります。基本的には男性ボーカルで、フロントマンがカリスマ的な影響力を持つことが多い点では、欧米や日本のバンドと変わりません。

ソヴィエト・ロックは、ソ連末期の開放的な政策とともに人気を拡大し続け、やがてソ連が崩壊してもロシア・ロックとしてその人気を保ち続けました。ソ連が崩壊した原因は当然ながら政治的な問題なのですが、ロックとともに発展してきた人々の自由を求める声も、ソ連崩壊と各共和国の独立、民主化に貢献してきたと言えるでしょう。

ソヴィエト・ロックの特徴は、粗削りな音作りや人生や政治に対する示唆に富んだ歌詞です。ソ連でロックが流行した80年代後半~90年代前半といえば、ソ連は経済的に行き詰まり、人々の生活がそれまでになく貧しくなってしまった時代。そんな時代に生まれた音楽だからこその味わい深さがあるのです。音に関していえば、当時はおそらく高品質な機材や最新の機材が手に入らなかったためか、全体的にバランスが悪くノイズも多いです。しかし、これはこれでソヴィエト・ロックの荒々しさを強調する特徴の一つでもあり、味わいとして考えるべきです。

歌詞に関して言うと、当然内容を一くくりにして語ることはできなのですが、傾向としては人生、歴史、戦争、政治など、重めのテーマを扱ったものが多いと言えます。日本のロックにしばしば見られるような、恋愛をテーマとした曲は相対的にかなり少ないです。すべてがそうだと決めつけることはできませんが、ソヴィエト・ロックの歌詞には、やはりソ連社会の暗い実情が反映されているところも多分にあると考えられます。

例えば、上記の「キノー」というバンドの代表曲「変革を!」では、次のような一節が印象的です。

 変革を僕らの心が必要としている

 変革を僕らの目が必要としている

この曲は、不満があっても声が上げられない、あるいは声を上げたところで何の変化も得られない、という当時の社会情勢を反映したものです。日本や欧米は形式的には議会制民主主義が発達した国家であり、実情はどうあれ国民の声は選挙という形で政権運営に影響します。一方、ソ連は共産党一党独裁国家であり、国民の声がダイレクトに社会を変えることができるようなシステムは存在しませんでした。また、ほとんどの人々は同じような形に設計されたアパートに住み、同じものを食べ、同じような服装をしていました。さらにソ連崩壊直前ともなると、ハイパーインフレーションで通貨の価値は暴落し、食料の供給もままならない状態となり、食品を求める長蛇の列ができました。

上記のような状況から生まれてきたのがキノーの「変革を!」という曲なのですが、この曲は現在でもかなりの人気を誇っています。旧ソ連各国では、今でもこの曲の歌詞がアクチュアルな意味を持ち続けているのです。旧ソ連の独裁国家ベラルーシでは、この曲が反体制派の象徴となっていることから、ラジオでこの曲を流すことを禁止しました。それほどまでに、ソヴィエト・ロックは政治と密接なかかわりを持ち続けているということです。日本ではロックバンドの曲が政治的に危険だから、という理由で放送禁止になることは想像できない事態です。

話は少し変わりますが、ここで思い出されるのが、アメリカのロック産業の頽廃を揶揄した曲とされるイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」です。同曲の歌詞には「1969年以来そのような酒はこちらにはご用意しておりません」という有名な一節があります。「酒」を意味する英語の「spirit」には「魂」という意味もあり、ここでは掛詞として使われているという解釈があります。つまり、1969年以降、アメリカのロックは商業化し、アーティストの「魂」などなくなってしまった、という意味の歌詞なのです。これはアメリカに限らず、広く日本や欧米に共通する問題だと言えるでしょう。

ロックは本来そのプロテスト精神を中核とし、メインストリームや社会のエリート、エスタブリッシュメントに対する反抗を表現する音楽でした。しかし、ロックの本場アメリカではそのような精神はしだいに失われてしまい、ロックはいつしか商業というメインストリームに取り込まれる形となったのです。

ソヴィエト・ロックに話を戻しましょう。これまで書いてきた通り、1980年代後半~90年代前半のソヴィエト・ロックは、ソ連政府や独裁政権に対する反抗、閉塞的な生活への不満などを原動力としていました。また、ソ連には商業としてのロックは存在しなかったため、ロックが商業的に流通することはほとんどなく、ソ連のロックスターたちは草の根的に人気を拡大していったのでした。

上記のような本来のロックのあり方と、ソヴィエト・ロックのあり方には、かなり親和性があると言えるのではないでしょうか。ソヴィエト・ロックは、まさにイーグルスの歌詞に見られるような「失われたロックの魂」を受け継いでいたと言えるのかもしれません。そしてその魂は、ソヴィエト連邦が崩壊した今でも輝き続けており、自由を渇望する人々の精神的な支柱となっているのです。そういう意味で、ソヴィエト・ロックは「真のロック」であったと言っても良いのかもしれません。

ソ連崩壊後、各国が資本主義経済を導入したことに伴い、大衆音楽も商業的に流通するようになりました。結果として、現在の各共和国にはソヴィエト・ロックのように非商業的かつ人気を博しているようなバンドは見られません。ソヴィエト・ロックはまさに、時代的要請があったからこそ誕生した音楽ジャンルであったと言えます。

最後に、上で歌詞の一部を引用したキノーの「変革を!」という曲のリンクを貼っておきます。キノーのボーカルはヴィクトル・ツォイという人物で、彼は朝鮮系ソ連人です。ツォイは旧ソ連社会を代表するロックスターとされており、今でも彼の名前を知らない人はほとんどいないと思います。ツォイはソ連が崩壊する直前の1990年に交通事故で死んでしまったのですが、現在でも旧ソ連の各都市には「ツォイの壁」という彼の似顔絵が描かれた壁があり、彼を崇拝する人々が絶えず訪れています。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。