ワルシャワ条約機構について①

本日のテーマはワルシャワ条約機構です。世界史の教科書で見覚えがある、名前くらいは聞いたことがある、という方は多いと思いますが、どのような国際機構だったのかご存じでしょうか。すでに過去の出来事となったワルシャワ条約機構ですが、実は国家のあり方、または現在の日本の国際関係を考える上で重要な示唆を与えてくれます。

こちらのブログでは、世界情勢についてさまざまな話題を提供してきましたが、そのなかでもとりわけソヴィエト連邦やユーゴスラヴィアなど、社会主義国家について扱ってきました。中華人民共和国やベトナムなど、東アジアを中心に現在も社会主義国は健在ですが、その数は90年代までに著しく減少しました。90年代にヨーロッパの多くの国家が資本主義化、民主化するまで、社会主義国は世界において大きな影響力を持っていました。

上記のように、社会主義国が世界のおよそ半分にあたる地域に影響力を持っていたころが「冷戦」時代ですね。言うまでもなく有名なことではありますが、冷戦においては、アメリカを中心とする西側諸国と、ソヴィエト連邦を中心とする東側諸国が対立していました。とはいえ、第二次世界大戦のような派手な戦闘が繰り広げられたわけではなく、強大な軍事力を誇る二大超大国が対峙しながら、一触即発の状態が数十年続いていたことを、「冷たい戦争」すなわち「冷戦」と呼んでいるのです。1991年、ソヴィエト連邦が崩壊すると、冷戦体制の一翼を担っていた東側諸国はその盟主を失い、自然と崩壊しました。それに先だって、1989年のベルリンの壁崩壊と東西ドイツの統一、ポーランド、チェコスロバキア、ルーマニアなどに民主化の動きがすでに起こっていました。

東側諸国のリーダーは言うまでもなくソヴィエト連邦でした。ソ連は1917年のロシア革命後にボリシェビキが政権を成立させ、第一次世界大戦から第二次世界大戦まで、大国として成長していました。第二次世界大戦ではアメリカ、イギリス、フランスなどともに連合国の一員となり、ナチスドイツや大日本帝国と戦闘し、連合国の勝利においてかなり重要な役割を担いました。戦勝国として第二次世界大戦を終えたソ連は、いよいよその国力も頂点に達し、ついに戦後の世界をアメリカと二分するようになりました。ソ連は、軍事力のみならず、その科学力も非常に先進的で、アメリカとのあいだに開発競争が起こります。特に象徴的なのは宇宙開発競争で、ソ連はアメリカよりも先に月面探査機の月面着陸を成功させるなど、その科学力をアピールしました。

戦後の世界においては、各地に社会主義国家が成立し、資本主義を基本原理とする各国はこの動きをなんとか抑えようとしました。特に戦後のアメリカは、敗戦国やその植民地をはじめとする国々に強い影響力を持ち、各国の社会主義化を防ごうとさまざまな工作を行いました。アメリカとソ連が張りあった結果として、戦後の世界には「分断国家」と呼ばれる国々が多く生まれました。分断国家とは、国土が二つに分割され、そのそれぞれに資本主義政権と社会主義政権が成立した国家のことです。具体例を挙げると、ドイツ(西ドイツ・東ドイツ)、朝鮮(韓国・北朝鮮)、中国(中華人民共和国・台湾)、ベトナムやイエメンなどがあります。分断国家は、それぞれが当該国家の全域に対する領有を主張しますが、実際には国家の真ん中に国境線が引かれ、しかもお互いが敵対状態にあることが多いです。ベトナムはベトナム戦争の終結によって、ドイツは1989年のベルリンの壁崩壊によって、それぞれ統一されましたが、韓国と北朝鮮、中国と台湾に関する問題は現在でも国際社会において大きなリスクの原因となっています。

冷戦の時代において、東西陣営のリーダーであったアメリカとソ連にとっては、他国に対する強い影響力を保持することがもっとも重要でした。他国を自分の側に引き入れることが、自国の国益を追求するためには必要だったのです。そのような動きのなかでは、とりわけ軍事同盟が不可欠でした。自分たちの陣営のうち、いずれかの国が攻撃されたらそれを全加盟国に対する攻撃と見なす集団的自衛権を確立させ、集団安全保障体制を打ち立てることが目的でした。そしてアメリカは1949年、北大西洋条約機構(NATO)を発足させ、東側諸国に対抗するための軍事同盟を確立することに成功しました。1955年には西ドイツもNATOに加盟し、その体制は盤石となりました。設立当初のNATOの加盟国は、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ポルトガルでした。

アメリカを中心とするNATOが仮想敵国としたのは、ソ連を中心とする東側諸国であり、ソ連としても対抗策を講じる必要に迫られました。そして、ソ連の影響化にある東ヨーロッパの社会主義国を中心に結成されたのが、ワルシャワ条約機構です。ワルシャワ条約機構はポーランドの首都ワルシャワで結成され、本部は東側諸国の中心であるモスクワに置かれました。ワルシャワ条約機構の正式名称は「友好協力相互援助条約機構」であり、明確にNATOに対抗するための組織として設立されました。加盟国は、ソヴィエト連邦、ブルガリア人民共和国、ルーマニア社会主義共和国、ドイツ民主共和国(東ドイツ)、ハンガリー人民共和国、ポーランド人民共和国、チェコスロバキア社会主義共和国、アルバニア人民共和国でした。

ワルシャワ条約機構の加盟国は、1980年代~90年代の東欧革命によって民主化し、ソ連以外の国(ブルガリア、ルーマニア、ドイツ、ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキア、アルバニア)は最終的にNATOへ加盟することとなりました。現在ではEUの一員であり完全な資本主義国家であるこれらの国々がソ連と同盟したという事実は、少し不思議なことのようにも思われます。ソ連の影響力は、現代の我々には想像できないほどに大きかったということですね。

上記の通り、ワルシャワ条約機構の基本的な原理はNATOと同じく集団的自衛権の保障という点にありました。基本的に、集団的自衛権は加盟国が他国から侵攻を受けた場合の軍事行動を保障しているわけですが、ワルシャワ条約機構には、それとは少し違った現象が見られました。「制限主権論」と呼ばれる概念がそれです。

ワルシャワ条約機構の加盟国は、当然ながらそれぞれが独立した、つまり国家主権を持った共和国でした。国家には内政不干渉の原則というものがあり、いかなる国も国際法に反しない限りはその国の事項について自由に処理することができ、また干渉されることもありません。この内政不干渉の原則は国連憲章でも明記されていることです。つまり、本来であれば同盟国であったとしても、それぞれの国に干渉することは絶対に許されません。

ところがワルシャワ条約機構においては、この内政不干渉の原則は必ずしも保障されていませんでした。ソ連は、社会主義陣営の利益を保持するためであれば例外的にワルシャワ条約機構内での内政干渉も厭わないという方針を打ち出し、これを正当化する根拠として制限主権論を持ちだしたのです。制限主権論に基づく考え方は、当時のソ連指導者であったブレジネフの名から「ブレジネフ・ドクトリン」とも呼ばれています。

制限主権論やブレジネフ・ドクトリンに基づけば、ワルシャワ条約機構内において、社会主義陣営の利益が損なわれる恐れがある場合には、ある国の主権を制限してその国の内政に干渉しても問題ないこととなります。そして、実際にそのような事態は頻発しました。国際的に有名な例として、「プラハの春」や「ハンガリー動乱」が挙げられます。1968年、チェコスロバキアではアレクサンデル・ドゥプチェクが指導者となり、彼は「人間の顔をした社会主義」を掲げ、民主的な改革運動を推進しました。ソ連などワルシャワ条約機構加盟国はこの運動を中止するよう圧力をかけましたが、それが無視されたため、ソ連率いるワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻しました。そしてワルシャワ条約機構軍とチェコスロバキア軍がプラハ市街地で交戦状態となり、結果としてソ連側の勝利となりました。

ソ連は上記のように、ワルシャワ条約機構を用いることで社会主義陣営の一体感を保ち、自由化や民主化という動きを強固に阻止しようとしてきました。結果として、その体制は1980年代後半まで継続したのですが、ゴルバチョフがソ連大統領になると、制限主権論も否定されるようになり、ワルシャワ条約機構加盟国の自主的な動きが活発となりました。そして、1989年にはベルリンの壁が崩壊して東ドイツは西ドイツに吸収され、さらにポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリアが次々と民主化し、ワルシャワ条約機構は廃止されました。

ワルシャワ条約機構の歴史は、すでに遠い過去のものとなっており、地理的にも日本からはるか遠い東ヨーロッパで起きたことです。しかし、その内容自体は現代を生きる我々にとっても決して無関係なものとは言えないと思います。戦後の日本の歴史を振り返ると、日本は常に西側諸国に属し、特にアメリカからの強い影響を受けてきました。その基礎にあるのは、戦後の「日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)」であり、これを根拠として日本とアメリカは日米同盟とされています。同時に締結された日米地位協定においては、裁判権など日本側の権利が保障されておらず、不平等だという指摘もあります。このような戦後日本のあり方については、「対米従属」という言葉で表されてきましたが、それを考えるうえでは、ソ連に従属させられていたワルシャワ条約機構のあり方に着目することも有意義ではないでしょうか。陣営は異なれど、アメリカとソ連は冷戦体制を確立した超大国であり、その統治手法には当然ながら類似点も見られるのです。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。