楽譜について

こんばんは。渡邊拓也です。

楽譜って何だろう、この問いについては、簡単に「こう」と答えられる質のものではないかもしれません。

楽譜の話の前に一つ。日本語を母国語として話している我々にとって、書かれている文章というものは、その文字、言葉の絶妙なつながりによって、ひとかたまりの意味を持ったものとして現前します。しかも、日本語における複雑な文が難なく読めるということは、日本語をある程度ちゃんと喋れる、そういった背景があっての行為・能力であると思います。

なぜならば、そうでなければ慣れない外国語や古代の難読文字を読むように、その文書を「読み解く」行為になりますし、その言語内での理解というよりも、翻訳されて初めて、同等かほぼ同等な意味の集合を「理解した」ということに近くなると考えられるからです。(もちろん、パズル的、数理的に楽譜を分析することは多々ありますが、そのこととこの話は、根幹が別です。)

日本語は日本語として、他の何語を介在しなくとも理解できる、英語は英語として、どんな言語にも訳さずにそのままわかる、それが本当の意味での「その言語の習得」なのだと言えるでしょう。

さて、そのことと楽譜とどのような関係にあるか、これから述べていこうと思います。

楽譜は、音符や休符、表情記号や、もっと根本的なことを言えば、五線という媒体(もちろん、そうでない音楽文化もたくさんある)を用いて、音楽を書き記したものです。「固定する」ということではなく、「可視化し、視覚情報を通じて、内容物(音楽)を人に想起させる」ものであると言えます。

日本語や英語を例に出しましたが、音楽を楽譜を通じて味わい、深めていくためには、言ってみれば「音楽語」をマスターし、扱う意識が大変大事になってくると思います。

そのための第一歩は、楽譜に書かれた「ド」の音が「ド」という音名を強烈に介在しないで、「(あの音域のあの音)」もっと言えば、「(あの音域のあんな質の音)」と、ダイレクトに浮かぶことです。楽器を弾かずに楽譜を読んだ時に、音名をいちいち介在しながら読んでいたら、言わばそれはいちいち翻訳しながら読むのと同じなので、先ほどの「本当の意味でのその言語の習得」の話に繋げて話すならば、楽譜が本当に読めるというのは、「ダイレクトに、音の有り様だけでなく、その音楽的な意味内容まで読み取れる」ということになってくると思っております。

楽譜を読む際は、例えば同じ四分音符が並んでいても、それぞれの四分音符の持つ意味が時間や音による文脈によって変わってくるように、楽譜の向こう側、つまり「行間」であり、「作曲者の心、思考、思想、イメージやアイデア」を読むことが大事になってきます。なぜなら、楽譜には演奏する際の、または音楽の持つ「ニュアンス」までは全て書けないため、演奏者や、楽譜を読む人がそこまで読み込めないと、作曲家からのメッセージを充分受け取れない上に、本物の共感、シンパシーが起こらないからです。

私も、まだまだ音楽的修行の最中です。楽譜の読み書き、そんな視点からも音楽家として成長を続けていきたいです。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音楽大学、同大学大学院ヴィルトゥオーゾコースを修了。 音楽でしか表現出来ない世界に魅せられ、独学で作曲を勉強する。 大家の作品の演奏のみならず、「この世にかつてない、新しい音楽を作る」「自分の感じる世界を余すことなく表出する」という理念の元に、創作や独自の響きの研究も行っている。大学の専攻はピアノだが、ヴァイオリンも演奏する。