独奏とアンサンブル 〜声部の理解とソロ演奏、または個人と全体について〜

みなさん、おはようございます。ピアノ弾きの渡邊拓也です。体調を崩すのをかなり恐れて、最近はR-1ヨーグルトを欠かさず毎日食べております。新商品で「砂糖0」のものが出たのを、みなさんご存知ですか?僕は、オリジナルの砂糖入りの商品よりも、甘さがちょうど良くて好きなので、そればかり食べております。宜しければ、いや、特に回し者でもなんでも無いですが…(笑)試してみてください。

 

さて、今日はピアノや他の楽器、編成における独奏とアンサンブルについて、精神的にどう違うか、またどういった関係があるのか、ちらと述べていこうと思います。

 

ピアノは、1人で主旋律、ベース、内声、対旋律が同時に弾けることが多いため、「一人で合奏、合唱の模倣をしている」と捉えられる曲が大変多いです。と言いますか、世の中にはそんな曲だらけです(笑)逆に、音の数が多いことにかまけて、上記の声部の違いを考えないで弾けば、それはそれは恐ろしい音の羅列に聞こえてしまい、聴いていて心地よい演奏には聞こえないでしょう。

 

ただ、ドビュッシー作品や、ヴィラ=ロボス作品など、色々な作曲家で見られる、「音で絵を描く」感じの作品や、「その響きそのものを味わう、楽しむ」作品においては、そんな声部の理解はいりませんし、かえって邪魔になります。そんな作品の演奏における精神性や味わい方については、また後日ちゃんと書ければ良いなと思っております。

 

さて、ピアノソロにおいてそんな「声部の理解」という概念があることを述べましたが、それがアンサンブルになると、2人で一つ、3人で一つ、30人で一つ、100人で一つ……と、「全体で一つ」と捉えると、全体において一人の音が占める割合が、ぐんと小さくなります。

しかし、ぐんと小さくなるからといって、各個人は思い切り演奏するわけですから、役割が薄くなるのとは違います。合唱の本番に出てみてもわかりますが、個々が発する音が全体にわずかながらずつ影響を与え、また全体の音響や覇気が、個人個人へも明確に役割を意識させ、その個人からまた全体に影響が……と、目に見えない影響の与え合いが全体で良い音楽を作る、ということが、合唱のみならずオーケストラなんかでも起きております。

 

さあ、またピアノソロの話に戻りますが、演奏者は、特に声部のはっきりしているピアノ曲を弾くに当たって、「個々が全体へ影響し合い、また全体から個々へ影響を及ぼす」感覚で弾けているでしょうか?声部の理解だけにとどまっていないでしょうか…?

そんな理解をして弾いていますと、今まで以上に細部に目がゆき届き、より一層豊かな音楽になります。私も、今一度注意を自分に喚起し、より良い演奏家を目指していきたいと思っております。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音楽大学、同大学大学院ヴィルトゥオーゾコースを修了。 音楽でしか表現出来ない世界に魅せられ、独学で作曲を勉強する。 大家の作品の演奏のみならず、「この世にかつてない、新しい音楽を作る」「自分の感じる世界を余すことなく表出する」という理念の元に、創作や独自の響きの研究も行っている。大学の専攻はピアノだが、ヴァイオリンも演奏する。