楽譜について 〜読譜力と音楽的意味内容をめぐる〜

渡邊拓也です。本日は、クラシック音楽をやる上では外せない楽譜と、それにまつわる作品理解について、思うところを述べていこうと思います。

 

楽譜は以前も述べましたが、もちろん周知の通り「音楽を書き記したもの」です。その中には、音符、休符、表情記号などが、ある音楽を書き表すために散りばめられ、それぞれが結託して、一つの音楽の指標を形作っています。

 

「指標を形作」ると書いたのは、楽譜を作るということは「その音楽を一意的に固定する」という意味ではないということを言いたかったからです。そもそも人間が情報を受信した際には、Aという内容がAと伝わり、BがBという内容と伝わる以上に、Aの内容がAと伝わった結果「△△」と感じた、という、もう一歩先のステップがあります。これは言語における活動に着目すればわかりやすいですが、「戦」という言葉を聞いた時に、ただ単に「複数人、または複数の組織同士が争い合うこと」という大意が浮かぶのにとどまらず、歴史好きな人で「〇〇の合戦」が浮かび興奮する人もいれば、第二次大戦を生き抜いてきた方にとっては、聞くのですら辛いという感情に苛まれる方もいらっしゃると思いますし、特に「戦」という言葉に何も感想を抱かないような人もいるでしょう。

 

これは音楽にも言えていて、例えば同じ「ド、レ、ミ」と横に並んだ四分音符を見て、それをピアノで演奏した時に、無意識に歌うような滑らかな演奏をする人もいれば、繋げないで切り気味に演奏する人もいれば、心の中で和声が鳴る人もいれば、特に表情はつけずに淡々と演奏する人もいます。言葉の時と同じように、音楽においても、同じものを見ても、方向性はある程度確か(上記の例では、この旋律に際立った暗さは感じない、など)ながらも、それぞれの人で全く違う感じ方をする、ということがよく起こっています。

 

もう一つ話を発展させると、例えばある曲の楽譜を読んでいて、「うわ、これは自分の肌に合わない、嫌い…」と初めから突っぱねるのではなく、まず最初は、「自分の引き出しには無かった要素だけど、この作曲家はどんな思い、思考回路でこんな作品を作ったのだろう」と音楽的に興味をもち、理解し、ちょっとでもその作曲家の持つ思いやセンス、思考を知ろうとすることから始めた方が、受け手でありまた発信者でもある私たちにとっては、人間としての幅が広がるのではないでしょうか。その楽譜を見て自分が「こういう音楽だから嫌」と思っていても、その作曲家は音楽的に全然違う意味合いでその音楽を書いた、もっと深く壮大な意味を持っていた、ということがあるならば、本当の意味で、人間同士の活動として、悲しいし勿体無いと思います。作品理解、音楽を通した人間理解、好みと良し悪しについては、音楽をやる上で重要なテーマになるので、今後何回かに分けて詳しく書ければ良いなぁと思っております。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音楽大学、同大学大学院ヴィルトゥオーゾコースを修了。 音楽でしか表現出来ない世界に魅せられ、独学で作曲を勉強する。 大家の作品の演奏のみならず、「この世にかつてない、新しい音楽を作る」「自分の感じる世界を余すことなく表出する」という理念の元に、創作や独自の響きの研究も行っている。大学の専攻はピアノだが、ヴァイオリンも演奏する。