言語圏について⑥オランダ語

これまでこのブログでは、フランス語圏、スペイン語圏、ポルトガル語圏、ドイツ語圏、ロシア語圏、日本語圏と、「言語圏」という包括的な概念を起点にさまざまな地域を取り上げてきました。反省点としては、基本的に紹介できるのがインド・ヨーロッパ語族の言語圏に限られてしまっている点です。グローバル化や多極化が叫ばれる現代において、あまりこのようなヨーロッパ中心主義的な書き方は良くないかもしれない、と反省しているのです。とはいえ、自身は日本を除くアジアやアフリカよりもヨーロッパに造詣が深い以上、やはりヨーロッパを中心に取り上げざるを得ないのが現状です。そんな反省をしつつも、本日取り上げたいと思うのは、近代以降ポルトガルと同じく日本を始めとする東アジア諸国に進出したオランダの言語、オランダ語の言語圏であるオランダ語圏です。

オランダ語の話者数は約2400万人。これまで紹介してきたフランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語などの各言語が1億人を超える話者数を有していたのに比べると、とてもとても少ない話者数です。それでもオランダ語の話されている地域をあえて「オランダ語圏」として取り上げたいのは、オランダ語が他のヨーロッパ諸語と同じく植民地を通じて世界各地に広まったからです。さらに、オランダ語を話す地域・国々は「オランダ語連合」という共同体を結成しています。フランス語圏が「フランコフォニー国際機関」、ポルトガル語圏が「ポルトガル語諸国共同体」を結成しているのと似ています。

オランダは17世紀から18世紀にかけて、衰退したポルトガルに代わって積極的に海洋進出を行いました。そしてアジア、アフリカ、アメリカに進出し、オランダ海上帝国を建設しました。貿易大国として成長したオランダは世界の覇権を握る国家となり、その地位をイギリスに奪われるまでは、世界一の大国として君臨していました。詳細は後述しますが、オランダは日本との貿易も盛んに行いました。鎖国状態にある日本とは出島を通じて独占的な貿易権を有しており、オランダ海上帝国の強みの1つともなっていました。しかし、オランダは海を挟んだ隣国イングランド(イギリス)との英蘭戦争をきっかけとして、大国としての地位は次第にイギリスに取って代わられていくことになるのです。

さて、オランダ語圏の話に入る前に、オランダ語について少し解説しておきましょう。以前にも少し触れましたが、オランダ語はインド・ヨーロッパ語族西ゲルマン語群に含まれ、英語やドイツ語と近似な関係にあります。特にドイツ語とは非常に近い関係にあるとされ、オランダ語とドイツ語の差は方言程度のものであり、両者は通訳なしで意思疎通できるほどだと言われています。俗に「オランダ語はドイツ語と英語の中間」と言われていますが、地理的には確かにそのような位置関係にあります。ただ、実際には英語は他のゲルマン諸語と大きくことなった特徴を持っており、オランダ語はかなりドイツ語寄りの言語です。英語ではオランダ語を「ダッチDutch」と呼びます。これは本来「ドイツ」を指す言葉ですが、イギリスから見るとオランダもドイツも大陸の似た人々であり、そこから混同が生じてしまったのでしょう。

それでは、オランダ語はどのような国や地域で話されているのでしょうか。まずはヨーロッパのオランダ、ベルギー、そして中南米のスリナム、アルバ、キュラソー島、シント・マールテン島がオランダ語を公用語としています。オランダとスリナムではオランダ語のみが公用語です。一方、ベルギーにはフランス語、オランダ語、ドイツ語という3つの公用語が存在します。ベルギーではオランダ語はフラマン語と呼ばれています。ベルギーは国内がフラマン語を話すフランデレン地方とフランス語を話すワロン地方に二分されており、対立が存在しています。アルバ、キュラソー島、シント・マールテン島は国としてのオランダとともにオランダ王国を構成する地域となっています。

このように考えると、実質オランダ語を公用語とする国はオランダ、ベルギー、スリナムの3ヶ国で、とても少ないようです。しかし、オランダ語から派生した言語として「アフリカーンス語」というものが存在します。アフリカーンス語は南アフリカに移住したオランダ系移民によって話された言語で、オランダ語に他のヨーロッパ諸語や現地のアフリカ系言語が影響を与えて派生したとされています。アフリカーンス語は1000万人の話者数を誇り、南アフリカ共和国の公用語の1つとなっています。アフリカーンス語は、南アフリカ以外でもナミビアで広く話されています。アフリカのこれらの国々も、異論はあるでしょうが、オランダ語圏に含むと考えることもできるでしょう。アフリカーンス語はアパルトヘイトを行った白人移民を象徴する言語だと考えられたため、現在では公用語としての地位も危ぶまれるほどです。しかし話者数は未だに多く、英語に次ぐ言語としての地位は保持しています。

オランダはオランダ海上帝国として、南アフリカや南米以外にも、アジアのインドネシア(オランダ領東インド)やスリランカ(オランダ領セイロン)などに進出しました。これらの地域では植民地支配に基づく苛烈な支配を行ったことで知られています。オランダはフランスやスペインのような支配を行わなかったためか、オランダ語がアジアの植民地に拡大することはほとんどなかったようです。

上記の通り、オランダは日本とも出島貿易を通じて密接な関係を持っていました。もっとも、日本との間では単に貿易などの取引があったにすぎず、植民地経営やポルトガルのような布教は行っていません。日本にとって先進的なヨーロッパ文明に対する唯一の窓口であったオランダは、日本の近代化においても重要な役割を果たしました。オランダから入ってきた学術・文化・技術の研究を行う「蘭学」は、江戸以前の日本における最先端の学問となりました。杉田玄白が翻訳した『解体新書』の原語はオランダ語でした。日本で蘭学を修めるためには当然ながらオランダ語を習得する必要がありました。杉田の『蘭学事始』には、オランダ語学習等についても書かれています。オランダ語の通訳者は「通詞」と呼ばれ、重要な役割を果たしていました。今の日本ではマイナーな言語の1つに過ぎないオランダ語を多くの人が学んでいたことは非常に興味深いですね。日本が開国したとき、すでにオランダは世界の強国としての地位を失いつつあり、日本での蘭学の地位も英語の英学、フランス語の仏学、ドイツ語の独学などにとって代わられていきました。

日本にとって、先進的な文明の唯一の供給源であったオランダ語は、日本語に多くの痕跡を残しています。現在でも、日本語にはオランダ語から借用した語彙が非常に多いのです。具体的には、「ガラス」、「コーヒー」、「ペン」など普段使っているとても基本的な語彙もオランダ語を起源としています。

本日取り上げたオランダ語圏は、話者数や公用語となっている国の少なさなど、これまでの言語圏とは異なる特殊な側面が多くありました。また、話者数の少ない言語でありながら日本語に強い影響を与えたことは、ある意味歴史の必然的な帰結でもありました。このように例外的な部分もありながら、オランダ語の話者分布の拡大そのものは他の言語と同じく、植民地を媒介としていたと考えることができます。

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武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。