言語について⑩バルト語派(リトアニア語・ラトビア語・プロシア語)

昨日の記事では、ヨーロッパの言語のグループの1つ、ケルト語派に含まれる言語を取り上げました。これで、インド・ヨーロッパ語族のうちイタリック語派(ロマンス諸語)、ゲルマン語派、スラヴ語派、ケルト語派の4グループを取り上げました。インド・ヨーロッパ語族は世界の言語群のなかでももっとも巨大なグループの1つです。そのため、インド・ヨーロッパ語族にはまだまださまざまな語派が存在しています。とはいえ、ヨーロッパ圏内で話されている言語となると、イタリック、ゲルマン、スラヴ、ケルトの4語派でほとんど網羅されてしまいます。ヨーロッパで話される言語のうち、これらの語派に含まれない言語として、「バルト語派」というもう1つの語派が存在します。本日はこのバルト語派について解説してみたいと思います。

「バルト」と聞いて、みなさんは何か具体的なイメージを思い浮かべるでしょうか。「バルト海」という海の存在をご存じの方は多いかもしれません。また、最近では「バルト三国」が観光地として日本人旅行者のあいだでもポピュラーな存在となりつつあります。以前、旧ソ連の国々について書いた際、バルト三国についても触れました。バルト語派の言語は、このバルト三国のうち、リトアニアとラトビアで話されています。リトアニアの公用語であるリトアニア語、そしてラトビアの公用語であるラトビア語は、インド・ヨーロッパ語族バルト語派に分類される言語なのです。

観光地として有名になりつつあるリトアニアやラトビアですが、残念ながら現地で話されている言語について関心を持つ人はまだまだ少ないようです。たしかにバルト三国では英語やロシア語、ドイツ語などがよく通じるので、現地語を知らなくても生きることは可能です。しかし、バルト三国が民族自決に基づいてソ連に抵抗した経緯を考えると、民族の根拠となった言語について知らずにリトアニアやラトビアという国々を理解することは不可能でしょう。言語の知識は、知ったところでその言語を話せるわけでもないので退屈ですが、国家の歴史や政治を考えるバックグラウンドとしては不可欠な知識であることを忘れないようにしたいです。

バルト語派は、比較言語学的な観点ではロシア語やポーランド語といったスラヴ語派の言語と近縁な関係にあり、太古の昔に同じ言語から分裂したと想定されています。地理的にもバルト語派とスラヴ語派が話される地域は重なっています。リトアニアやラトビアの南東部では、ロシア語やポーランド語、ベラルーシ語といったスラヴ語派の言語も話されているのです。ただ、バルト語派とスラヴ語派はそれぞれ別の「語派」に分類されているだけあり、互いに大きく異なっています。近似性がある、と言ってもそれはあくまで言語学の理論の話であり、バルト語派の言語とスラヴ語派の言語で互いに意思疎通を行うことは困難です。

バルト語派に含まれる言語としては、上述の通り、リトアニア共和国の公用語であるリトアニア語、ラトビア共和国の公用語であるラトビア語があります。かつてバルト語派にもさまざまな言語がありましたが、現存する言語はリトアニア語とラトビア語のみとなってしまいました。ラトビア東部で話される言語は標準的なラトビア語と大きな違いがあり、ラトガリア語として第3のバルト語とされることもあります。リトアニア語の話者数は約300万人、ラトビア語の話者数はラトガリア語を含め約200万人となっています。

また、18世紀ごろまで話されていたバルト語派の言語としてプロシア語があります。プロシア語は現在のポーランドやロシアの飛び地であるカリーニングラード州にあたる「プロイセン」で話されていた言語です。プロイセンというとドイツのイメージがありますが、プロシア語はドイツの支配を受ける中で次第にドイツ語に地位を奪われ消滅したとされています。プロシア語は18世紀に一度消滅しているので「死語」とされていますが、現在では言語学者を中心にプロシア語を復活させる試みを行っている人もいるようです。

次に、各言語の特徴について書いておきましょう。リトアニア語はすでに書いた通りリトアニアの公用語であり、リトアニア人口の多くが話します。しかし、リトアニアにはロシア人、ポーランド人、ベラルーシ人といったスラヴ諸語を話す人々も多く居住しています。特にリトアニアの首都ヴィリニュスはベラルーシの国境に近く、ロシア人、ポーランド人、ベラルーシ人が人口の3割以上を占めています。そして、ヴィリニュスではロシア語やポーランド語を話し、リトアニア語を話せない人も多いようです。

リトアニア語は、ヨーロッパの言語のなかでも「古風な言語」として知られています。「古風」とはどういうことかというと、インド・ヨーロッパ語族がさまざまな言語に分岐する前にもっていた特徴が保存されているということです。仏教の言葉であるサンスクリットはインド・ヨーロッパ語族の古い形質を保っている言語として知られていますが、サンスクリットとリトアニア語には共通点が多いとされます。アジアのインドとヨーロッパのリトアニアの言語が似ているというのは面白いことですが、インド・ヨーロッパ語族はかつて同じ言語だったはずなので、当然といえば当然なのです。リトアニア語は言語学的には「生きた化石」のような言語だと考えられています。インド・ヨーロッパ語学を学ぶうえで、リトアニア語の知識は必須だとされています。

ラトビア語は、ラトビアの公用語なっています。ラトビアにもリトアニアと同様の問題があります。ラトビアでは人口の60%がラトビア人で、それ以外はロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人などが占めています。ラトビア人以外の人々にもラトビア語を話す人はいますが、ラトビア語話せない人々も多いとされています。

リトアニア語とラトビア語は、同じバルト語派に属していることもあり、文法・語彙にかなりの近似性が見られます。しかし、リトアニア語とラトビア語で意思疎通を行うのは難しいとされています。リトアニア語は非常に古風な特徴を残した保守的な言語である一方、ラトビア語は比較的新しい部分も多いようです。

バルト語派は、ロシア語を含むスラヴ語派という強力な言語グループと隣合わせになりながら、古風な性質を保ち続けた奇跡的な言語の1つです。残念ながらプロシア語は消滅してしまいましたが、リトアニア語とラトビア語はソ連時代という暗黒時代をしっかりと生き延び、現在ではリトアニアとラトビアの公用語という安定的な地位を得るに至っています。

冒頭に書いた通り、「バルト三国」が観光地として人気を博しつつあるにもかかわらず、現地の言語にそれほど関心が向けられていないのはとても残念です。しかし、日本では言語学者が結構がんばっており、リトアニア語やラトビア語の参考書はすでに出版されています。CD付きの参考書は音声を聴くだけでも現地へ旅行した気分になれるのでとてもおすすめです。

ちなみに、バルト三国のうちエストニアだけではバルト語派ではなく、フィン・ウゴル語派のエストニア語が話されていることにはお気づきでしょうか。エストニア語については「ウラル語族」についての記事で取り上げましたが、こちらはフィンランド語に近い言語だとされています。

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武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。