人工言語について①エスペラント

現在、英語を「世界の共通語」と見なす考え方は広がりつつあります。特に、日本のようなアメリカの強い影響を受けてきた地域においては、英語ができないことを恥と見なす風潮さえ見られるようになってきました。このブログでの基本的な姿勢は、このような英語偏重主義はアメリカやイギリスの帝国主義の結果としてもたらされたものであり、グローバル化が進展する社会においては改められるべきだということです。かつて、世界の共通語となってきた言語としては、ローマ帝国のラテン語やフランス語のフランス語が挙げられます。いずれも、その言語が公用語となっている国の国力を背景とし、周囲の異言語話者を排斥することによって言語圏を拡大してきた背景があり、英語と同じく帝国主義的な政策によるものだということができます。

英語の支配力がこれほどまでに拡大する以前、19世紀末から20世紀初頭においても、「1つの言語が支配的な地位を占めるのは不平等をもたらす」という事実は知識人やエリート層のなかで認識されつつありました。当時の世界においてはナショナリズム旋風が吹き荒れ、各国はそれぞれ別の公用語を持つことが一般的となりつつありましたが、共通語としてはフランス語や英語といった強国の言語が用いられ、それ以外の言語話者はやはり不利な状況に陥っていました。

このような社会において、言語問題をどのように解決するか希求していたのが、ロシア帝国西部の街ビャウィストク(現在のポーランド)に生まれた医師、ルドヴィコ・ザメンホフ(1859-1917)です。当時ロシア帝国にはさまざまな民族が居住していました。特にビャウィストクは多民族の都市であり、ポーランド語、ロシア語、ベラルーシ語、イディッシュ語、ドイツ語、リトアニア語などさまざまな言語が話されていました。住民は言語によって分断されており、ユダヤ人のザメンホフもこの状況に憤りを覚えていました。そして、ザメンホフは特定の言語を共通語にするのではなく、人工的な共通語(国際補助語)を作る必要があると考えました。そこで、すでにロシア語やイディッシュ語を話すことができたザメンホフはドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシャ語、英語などさまざまな言語を学び、「国際補助語は文法が簡素で、動詞の人称変化がなく、接頭辞・接尾辞を自由に使えるものであるべきだ」ということに気が付きます。この理論に基づいて、ザメンホフは医学を学びながら国際補助語の開発を進めていきました。こうして開発された人工言語が「エスペラント」と呼ばれるものです。

エスペラントは国際補助語として、誰にとっても学びやすく平等な共通語を目指して開発されました。そのため、エスペラントの文法や語彙は、特定の言語ではなく、さまざまな言語の要素を組み合わせて人工的に作られたものです。とはいえ、ザメンホフ自身が習得していた言語はロシア語、イディッシュ語、ポーランド語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシャ語、英語など、インド・ヨーロッパ語族の言語であったことから、エスペラントもインド・ヨーロッパ語族の要素がかなり強いと言われてきました。実際、エスペラントの語彙の7割がロマンス諸語(フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語等)から、2割がゲルマン諸語(ドイツ語や英語)に由来していると言われます。また、発音体系はロシア語やポーランド語などスラヴ諸語の影響が強いとされています

エスペラントは英語やフランス語と同じく、ラテン文字で書かれます。ただ、他のヨーロッパの言語と異なり例外がなく、ほとんどローマ字読みをすれば良いので、発音自体は非常に楽な言語です。例としてエスペラントの表現を書いておきましょう。「こんにちは」は「Bonan tagon(ボーナン・ターゴン)」で、なんとなくスペイン語の「Buenos días」やポルトガル語の「Bom dia」を想起させます。「ありがとう」は「Dankon(ダンコン)」で、こちらはドイツ語の「Danke」に似ていますね。このように、エスペラントはヨーロッパの言語のさまざまな要素を持つ言語なのです。

エスペラントは平等な国際共通語として開発されたため、第二次世界大戦以前の世界ではかなり強い支持を受けていました。1905年以降は毎年「世界エスペラント大会」が開かれており、日本を含む世界中からエスペラント話者(エスペランティスト)が参加しています。1920年代には国際連盟の作業現語にエスペラントを加える動きがありましたが、エスペラントを英語と同じ脅威と見なすフランスの反対により頓挫してしまいました。エスペラントは、大戦前の日本では非常に多くの人々が学ぶ言語の1つでした。特に、日本の知識人や作家はエスペラント運動に敏感に反応していました。エスペラントを話した日本人として有名なのは、新渡戸稲造、井上ひさし、宮沢賢治、柳田國男らです。特に宮沢賢治は、自身の作品のなかでもエスペラントを取り入れていたことで知られています。彼の作品に登場する「イーハトーヴォ」などの地名にはエスペラントの影響が指摘されています。また、彼はエスペラントで詩も書いており、かなりエスペラントに熟達していたことがわかります。

エスペラントは世界的に広まった運動でもあるので、共通のシンボルを制定しています。エスペラントのシンボルとしてもっとも有名なのは、「緑の星」です。緑は希望を、そして星は五大陸を表しているとされます。また、緑の星を配した「緑星旗」もエスペラントのシンボルとして用いられています。

このように、第一次世界大戦前に生まれ、第二次世界大戦にかけて世界的に広まっていったエスペラントですが、現在の状況はどうなっているのでしょうか。現在、エスペラントを流暢に話すことのできる人は世界に160人ほどいるとされています。しかし、この結果には疑問も出てきており、実際にはさらに少ないのではないかと言われています。仮にこの数字が正しかったとしても、話者数はラトビア語やマケドニア語と同じ水準であり、話者数の順位では世界200位程度になります。「世界共通語」というコンセプトで作られ、かつてはフランス語の地位をも脅かす存在であったことを考えると、エスペラントは衰退の一途をたどりつつあると言えるかもしれません。原因はいろいろと考えられますが、英語一強の状況が第二次世界大戦以降ますます強まってきたことと無関係ではないでしょう。第二次世界大戦においては、フランスやドイツなどの大陸ヨーロッパが荒廃・衰退し、結果としてアメリカやその旧宗主国イギリスなどのアングロサクソン勢力の影響力が一気に強まりました。アメリカを脅かしたソ連も敗北し、英語はフランス語のみならずロシア語も国際語の座から引きずり下ろしてしまったわけです。これほどまでに英語の影響力が強まると、もはやエスペラントの出る幕などなくなったと言って良いでしょう。エスペラントの強みは、強国の公用語ではなくあくまで平等な国際補助語であるということでした。しかし、それはバックに強い勢力がいないという弱みでもあり、まさにこの弱みによって、アメリカ・イギリスという強力な勢力に支えられた英語に敗北してしまったということができるのではないでしょうか。

エスペラントがもはや国際共通語として機能しなくなってしまったことは悲劇的です。しかし、大国の野心がむき出しになっていた第二次世界大戦前の世界において、エスペラントを国際共通語にしようと努力していた人々がいたことは、少なくとも忘れないようにしたいと思います。

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武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。