亡命政府について①

こちらのブログではこれまで、現存する主要国家のみならず、事実上独立した地域(未承認国家)、そしてミニ国家など、「国家」と名の付くさまざまな機構について書いてきました。同じ国家にもかなり多様な形態が存在することはこれまでの記事で良くわかってきました。ブログでまだ取り上げることのできていない国家の形態として、「亡命政府」というものがあります。

亡命政府とは、クーデター、内戦、他国による侵略などの理由で、自国に留まることができなかった元首や首脳、あるいは国民らが外国に出国・亡命し、亡命先で運営する政府組織のことです。事実上独立した地域の記事で定義付けた通り、国家の要件は、「領土・人・権力」の3つであるとされています。亡命政府の場合は、実質的に領土を失っており、さらに人と権力についても十分でないことが多いため、国家の3要件を満たしているとは言い難いです。しかし、亡命政府のなかには、自国の別の政権の打倒や侵略してきた他国の撃退などによって自国に帰国し、政権に返り咲くものも存在しています。このことから、亡命政府そのものは国家としての要件を満たしていないものの、国家となる潜在的な可能性秘めている組織だということができるでしょう。

さて、亡命政府はその存在基盤がもともと脆弱であることから、その定義が難しい部分もあります。亡命政府は大きく分けると①現政権に追放された政府、②政権からの分離独立を望む政府、③現政権と対立する政府などが挙げられるでしょう。もちろんこれらの定義も曖昧な部分はあると思います。

①現政権に追放された政府にあたる亡命政府として挙げられるのが、イラン帝国亡命政府、ラオス王国亡命政府、ベラルーシ人民共和国亡命政府、エチオピア王冠評議会などが挙げられるでしょう。イラン帝国亡命政府は、1979年のイラン革命によって打倒されたパフラヴィー朝の復活を求める政府です。イラン革命では、イスラーム教シーア派の法学者を中心とする革命勢力が、アメリカ合衆国の支援を受け脱イスラーム的な政策を行っていたパフラヴィー朝を打倒しました。失脚したパフラヴィー2世はアメリカに亡命し、イラン帝国亡命政府もアメリカに所在しています。ベラルーシ人民共和国亡命政府は1918年に成立した組織で、現存する亡命政府ではもっとも長い歴史を持ちます。1917年のロシア革命後、1918年にベラルーシはベラルーシ人民共和国として独立しました。しかし1919年にはベラルーシはソ連軍に占領され、ベラルーシには白ロシア・ソビエト社会主義共和国が成立しました。これによりベラルーシ人民共和国は領土を失い、亡命政府となりました。ソ連崩壊後、旧ソ連の国々はソ連成立前の体制に復帰し、多くの亡命政府が帰国、政権と合流しました。ベラルーシでも同様に、亡命政府と政権の合流が準備されました。しかし、ベラルーシでは後の選挙によってアレクサンドル・ルカシェンコ大統領が元首となり、非民主主義的な政策を行ったため、民主主義を希求するベラルーシ人民共和国亡命政府との対立が置き、合流は不可能となりました。バルト三国などの亡命政府が政権と合流・解消したにも関わらず、ベラルーシのみ亡命政府が存続しているのはこのような背景によります。

②政権からの分離独立を望む政府にあたる亡命政府としては、ガンデンポタン(チベット亡命政府)、東トルキスタン共和国亡命政府、カタルーニャ共和国委員会、チェチェン・イチケリア共和国、西クルディスタン共和国、シャン州連合暫定政府などが挙げられます。ガンデンポタンや東トルキスタン共和国亡命政府は、チベットやウイグルの独立を求める組織です。現在チベットやウイグルは中華人民共和国の一部となっており、これらの亡命政府は中華人民共和国政府と対立関係にあります。ガンデンポタンの長はダライ・ラマ14世であり、国際的に非常に影響力の強い人物です。ガンデンポタンは亡命政府のなかでももっとも強い影響力を持つ組織と言えるかもしれません。カタルーニャは、2017年の国民投票によりスペインからの独立が決定されましたが、スペイン政府はこれを承認せず、カタルーニャ共和国委員会の首相プッチダモンは拘束されましたが、現在ではベルギーに亡命しているとのことです。

以上に挙げたのは現在も亡命政府として活動を続ける組織です。しかし冒頭に書いた通り、亡命政府のなかには後に自国へ戻り、本物の政府として政権の座に就く組織も多くあります。歴史的に見ると、ポーランド亡命政府、エストニア亡命政府、リトアニア解放最高委員会、自由フランスなどが存在します。ポーランド亡命政府は第二次世界大戦でポーランドが侵略された後イギリスへ亡命しました。しかし大戦後、ポーランドは独立を守ったものの、社会主義国としてソ連の影響化に置かれ、民主主義的な亡命政府が帰国することはできませんでした。1980年代末の東欧革命によってポーランドは民主化することとなり、運動の中心人物であるレフ・ヴァウェンサ政権が成立。そして利害関係が一致した亡命政府は、ヴァヴェンサ政権に「正統性」を返還することで消滅しました。エストニアやリトアニアの亡命政府も同様で、1940年以降これらの国々はソ連に併合され、民主主義的な亡命政府の居場所は消滅しました。1991年のソ連崩壊後、エストニアとリトアニアは独立を回復し、目的が達成されたことにより亡命政府は解消されました。

上記の亡命政府は政権をとった、というよりは政権と合流して消滅する形となっていますが、実際に政権の母体となった亡命政府も存在します。例えば、第二次世界大戦時にフランス北部を占領したナチスドイツや南部に成立した親ナチス的なヴィシー政権に対抗し、ロンドンに所在した亡命政府である自由フランスは、アルジェリアでフランス共和国臨時政府を結成し、パリが解放されるとフランスに帰国しました。そして、フランス共和国臨時政府を母体として成立したフランスの政権が、フランス第四共和政です。フランス第四共和政はフランス復興に努めたものの、植民地の独立要求が過熱し、最終的にフランスは多くの植民地を失い、1958年にはフランス第5共和制が成立しました。

最近日本のニュースを賑わせているのが、1919年に起こった韓国の三・一運動という日本からの独立運動です。この運動を契機として当時の上海に成立した臨時政府が大韓民国臨時政府だとされています。現在の大韓民国は大韓民国臨時政府の継承国家であるという立場を取っており、このことは憲法にも明記されています。実際のところ、大韓民国臨時政府は国家としての要件を満たしておらず、国際的な承認も得ていなかったことから、あくまで亡命政府だったということができるでしょう。しかし、亡命政府が自国の政権の座を手にした例としては、大韓民国臨時政府を挙げることができます。

本日は、亡命政府という定義の難しい政府組織について書いてみました。その定義自体が難しいので、この記事で扱うことができたのは亡命性のごく一部に留まります。亡命政府は国家の要件を満たさず、その実態が不明瞭なことから、あくまで影響力のない組織だと考えられることが多いですが、フランスや韓国の例を見ると、亡命政府が国家の母体や根拠とされることはしばしばあり、決して侮ることのできない組織だと考えることができるでしょう。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。