教育について⑩欧米の学位

先日の記事では、日本の高等教育を考える前提として、日本の学位制度について書きました。学士・修士・博士・専門職学位という日本の学位の意義とそれぞれの違いについてまとめたつもりです。当該の記事で書いた通り、日本では最高峰の学位として知られる博士の取得者が職にあぶれるという悲劇的な事態が生じしまっています。分野にもよりますが、博士取得者は日本社会の頭脳の頂点に立つ知識階級であり、彼らが失業してしまうと、日本社会全体が損失を被ることになります。このような状況のなか、研究職を目指す多くの学生にとってはアメリカやヨーロッパなど海外の大学へ進学することが一般的となりました。日本側から見ると、これは明らかな頭脳流出であり、日本の将来にとって損失でしかないのですが、現状政府が決定的な打開策を打ち出せずにいます。過去には東大などに進学していた際優秀な学生が、現在ではアメリカのアイビーリーグやイギリスのオックスブリッジなどを選ぶ時代になってしまいました。

上記の通り、日本では優秀な学生の多くが海外へ進学していきます。しかし、海外の大学と日本の大学では授与される学位が異なるなどのシステム的な違いがあります。海外進学に際しては、このあたりの事情を詳細に把握しておく必要があると考えられます。そこで、本日は日本人が多く留学しているアメリカ及びヨーロッパ(イギリス・フランス・ドイツ・ロシア)の学位制度について書いていきたいと思います。

日本の社会制度は基本的にドイツやフランス、イギリスなど西ヨーロッパ諸国を手本として成立したもので、教育も例外ではありません。しかし、戦後日本はアメリカの占領を受け、教育を含め社会のさまざまな面がアメリカ化されました。このような経緯から、現在の日本の大学はアメリカの強い影響化にあると言え、学位のシステムもアメリカに類似していますが、違いもいくつかあります。アメリカの大学では、日本と同様に学士学位(Bachelor’s degree)、修士学位(Master’s degree)、博士学位(Doctoral degree)の3つが基本的な学位となっています。これに加えて、「準学士学位(Associate degree)」と「第一専門職学位(First-Professional Degree)」が存在しており、「短期大学士」と「専門職学位」を用意している日本の制度と類似しています。特に、日本の専門職大学院はアメリカの高等教育を模して作られたものであり、アメリカにも学術系の学位と専門職学位がそれぞれ別に存在しています。

アメリカなど英語圏の博士としては、分野を問わず「Ph.D.(英:Doctor of Philosophy、ラテン語:Philosophiae Doctor)」が授与されます。Doctor of Philosophyは直訳すれば「哲学博士」ですが、Ph.D.は哲学のみならず文学、歴史学、言語学、数学、物理学、化学、生物学、地学などさまざまな分野の研究者に授与されます。欧米では神学、法学、医学、哲学の4学部が伝統4学部とされており、哲学のみが非実学系で真理探究を目的とする学部でした。このような経緯から、アカデミックな研究に対する学位としてはPh.D.が一般的な存在となったのです。なお、日本の「博士」も英語圏では「Ph.D.」と訳されることが多いです。

イギリスの大学制度は長い歴史を有し、歴史の短いアメリカとは異なる部分も多々あります。というのも、イギリスでは同じ学位であっても大学や地域ごとに名称が異なっているのです。例えば、オックスブリッジでは「Master of Arts」が修士号ではない、オックスフォード大学ではPh.D.をDPhilと呼ぶ、などの例があります。とはいえ、基本的にはイギリスの学位制度においても学士・修士・博士という3つの学位が基本的な地位を占めている点に変わりはありません。イギリスではイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドでそれぞれ大学制度も異なっており、非常に複雑な状況となっています。また、上記のようにイングランド国内の大学であっても、格別の歴史を誇るオックスブリッジとそれ以外の大学では制度的に大きな違いがあったりします。

大陸ヨーロッパの中心的な国であるフランスでは、アメリカやイギリスとはかなり異なった制度が運用されています。フランスでは、学部の前期課程を終えた人に「大学一般教育免状」が授与され、後期課程を修了した人に「学士」が授与されます。学士の上位の学位としては、2年間の修士課程修了者に授与される「修士」が存在します。修士の上位の学位は「博士」です。アメリカやイギリスでは大学が博士を授与するのに対し、フランスでは国家が授与するという違いがあります。フランスの大学制度の特徴は、オックスブリッジやアイビーリーグが頂点を占める英語圏のような大学ごとの格差が存在しないことです。フランスではどの大学にも希望すれば入学が可能であり、平等な制度が運用されています。一方、フランスでエリートと見なされるのは大学卒業者ではなく、「グランゼコール」と呼ばれる高等職業専門家の養成機関です。グランゼコールは日本やアメリカの専門職大学院のような役割を担っていますが、大学とは独立して存在する教育機関であり、また大学よりも優れた機関としてフランス社会では絶大な存在感を持っています。グランゼコールの修了者には「グランゼコール免状」が授与されます。グランゼコールの修了者は、官僚を始めとする国家の要職に就いています。

フランスのお隣ドイツでは、独自の学位制度が運用されていました。大学学部では「得業士(Diplomgrad)」と呼ばれる学位が授与され、上位の学位として「ドクター(Doktorgrad)」が存在していました。しかし、グローバル化の進展によりヨーロッパ内の学位制度を統一する必要が出てきたため、現在では「修士」や「博士」に相当する英語圏と同様の学位も創設されるに至っています。

日本とヨーロッパの中間に位置するロシアでは、ソ連時代の教育制度の影響もあり、日本や英語圏とはやや異なる制度が運用されています。かつては「学士」や「修士」といった学位は存在していませんでしたが、現在ではこれらの学位が創設されています。結果として、「学士(Бакалавр)」やその上位の「修士(Магистр)」の意義は日本と同様となっています。ロシアでは「学士」の取得に5年間かかるなど、標準年限の違いはあります。ロシアの学位制度のもっとも大きな特徴は、博士レベルの学位にあります。ロシアでは修士課程の先に「大学院課程(Аспирантура)」が存在していますが、この課程の修了者には「博士候補(Кандидат наук)」という学位が授与されます。「博士候補」は「準博士」とも訳されていますが、実質的には日本の博士と同様の学位と見なされており、英語では「Ph.D.」と訳されます。「博士候補」の上位に「博士(Доктор наук)」という学位が存在しますが、「博士」の取得には厳格な論文審査が必要となっており、実際には取得者はかなり稀です。

ヨーロッパの国々では、かつて国ごとにさまざまな教育制度が運用されていましたが、EUの発足やグローバル化の進展によって、諸制度を統一する必要が発生しました。これを踏まえて、EU加盟国やロシアなどの周辺国では、ボローニャ・プロセスと呼ばれる教育制度の統一に関する合意が結ばれることになりました。ボローニャ・プロセスによって、ヨーロッパのさまざまな国の学位が再編され、日本や英語圏と同じく、学士・修士・博士の3学位を中心とするシステムが採用されつつあります。

本日は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアといった欧米主要国の学位制度を概観してみました。学位の制度は国によってかなりさまざまであり、各制度は国家の歴史を象徴しています。

 

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。