言語圏について⑨朝鮮語圏

こちらのブログでは、これまでヨーロッパの言語を中心にさまざまな言語圏をテーマにしてきました。またヨーロッパに限らず、世界的に強い影響力を持つ言語圏として日本語圏と中国語圏といった東アジアの言語圏についても書いてきました。日本、中国、と来たら次は韓国だと考える方も多いのではないでしょうか。というわけで、本日は「朝鮮語圏」について書いていきたいと思います。

韓国の言語について書くにあたっては、まずその名称に触れておく必要があります。韓国で公用語とされている言語は、現在日本語で「韓国語」と呼ばれることが多いです。これは韓国におけるオフィシャルな名称でもあります。しかし韓国の人々は北朝鮮や中国に住む朝鮮人と同じ民族なので、彼らの言語を総称して「朝鮮語」と呼ぶことが多いです。言語学的には韓国語」ではなくもっぱら「朝鮮語」という名称が使用されています。韓国内では「朝鮮」という名称は忌避される傾向にあり、例えば朝鮮半島は「韓半島」、朝鮮民族は「韓民族」のように呼ぶため注意が必要ですが、学術的にはあまり意味のない区別なので、ここでは「朝鮮語」と呼ぶことにします。

上記の通り、朝鮮語は韓国、北朝鮮、中国の一部で話されています。さらに、朝鮮民族がさまざまな地域に移民したため、アメリカ、日本、ロシアなどの国々にも多くの朝鮮語話者が存在しています。世界の朝鮮語話者を合計すると約7500万人になると考えられています。そう考えると、英語、中国語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、日本語などの主要言語より話者数が少ないものの、イタリア語やトルコ語よりは多いということになります。

朝鮮語の系統についても触れておきましょう。朝鮮語は、言語学的にはいかなる語族にも属さない「孤立した言語」だと考えられています。東アジアには日本語やアイヌ語など「孤立した言語」が多く存在しており、現在の科学ではそれぞれの言語に系統関係はないとされています。朝鮮語と日本語は文法や発音に共通性が見られるため、かつては系統的に関係があると考える学者もいましたが、言語学的に立証することはできず、あくまで俗説にすぎません。朝鮮語も日本語も漢文の強い影響を受けているため、漢字経由の似た語彙は多く存在しますが、基本的な語彙や数字に共通性はありません。かつて「日本語の起源は朝鮮語である」という説を主張した人々がいましたが、これはデマであり、言語学的には完全に否定されています。一方、朝鮮語と日本語のあいだに一定の共通性が見られることは事実であり、これは「言語連合」なのではないかとも言われています。言語連合とは、系統的に無関係な言語が隣接して使用されている場合に、それぞれの言語に共通性が生じる言語学的な現象です。

朝鮮語と日本語は音声的にはかなり大きな違いがあります。もっとも顕著な差異としては、朝鮮語が閉音節言語であるのに対し、日本語が開音節言語であるという点が挙げられるでしょう。閉音節とは、子音で終わる音節のことを指します。一方、開音節とは母音で終わる音節のことです。日本語の音節は、原則として必ず母音を含んでいますが、朝鮮語はそうではありません。そのため、朝鮮語の単語を正確に発音することは、日本語話者には難しいのです。例として、「キムチ」という単語を朝鮮語ローマ字で表記すると「Gimchi」で、「gim」と「chi」という2音節で構成されていることがわかります。しかし、日本語では「Kimuchi」となり、「ki」、「mu」、「chi」の3音節となってしまいます。これは日本語話者が子音のみを発音することができないためです。

朝鮮語を公用語とする国は、朝鮮半島の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)の二ヶ国です。さらに、中国の延辺朝鮮族自治州でも中国語と並ぶ公用語とされています。北朝鮮の朝鮮語と韓国の韓国語は、どちらもソウル周辺の方言を基礎に標準語が整備されており、基本的には同じ言語だと言えます。しかし、戦後長期間が経過しそれぞれが独自の発展を遂げた結果、その相違は大きくなりつつあるようです。延辺朝鮮族自治州の中国朝鮮語は北朝鮮の朝鮮語に近いとされています。

朝鮮半島周辺の朝鮮語のうち、韓国の済州島で話されている済州方言は、言語学的には朝鮮語とは別の済州語と見なされることもあります。済州語の話者は現在では高齢者に限られていると言われており、ユネスコの消滅危機言語にも指定されています。

現在の朝鮮語は、ほとんどの場合もっぱら独自の文字であるハングルで表記されます。かつては日本語の漢字かな混じり文と同様の漢字ハングル混じり文が用いられていましたが、日本統治時代以降はハングルのみによる正書法が整備されていきました。ハングルは1446年に世宗により「訓民正音」として定められた朝鮮語専用の文字です。

上記のように、朝鮮民族は歴史的な経緯から、アメリカ、日本、ロシアなどさまざまな地域に移住しました。このような現象はディアスポラと呼ばれますが、朝鮮系ディアスポラのあいだでは、それぞれ独自の言語が話されていると言われます。在米韓国人の話す朝鮮語は英語の強い影響を受けているため、「在米朝鮮語」と呼ばれることがあるようです。在日韓国・朝鮮人の話す朝鮮語は文法や発音面で日本語の強い影響を受けていることから、言語学的には「在日朝鮮語」という名称で呼ばれることもあります。どちらもあくまで口語であり、正書法が整備されているわけではないため、書記言語としては朝鮮半島の正書法が用いられます。

朝鮮民族は、ロシアを含む旧ソ連の領土にも多く居住していました。かつては朝鮮半島に接するソ連領に住んでいた人々ですが、スターリン時代に中央アジアなどに強制移住させられた人々も多く、現在では、ロシア、カザフスタン、ウズベキスタンなどロシア・CIS(独立国家共同体)に属する旧ソ連の国々に居住し続けています。彼らは「高麗人(コリョ人)」と呼ばれ、朝鮮人とはやや異なるアイデンティティを持っています。高麗人は社会主義のもと非常に厳しい生活を強いられましたが、ソ連社会においても大きな影響力を持ち、ソ連人の一部としてロシア語を話して生活していました。以前紹介したソ連でもっとも有名なロックスターであるヴィークトル・ツォイは高麗人の一人です。高麗人の話す朝鮮語はロシア語やカザフ語、ウズベク語など現地の言語の強い影響を受けており、「高麗語」という独自の言語とされることも多いです。

朝鮮語には「朝鮮半島の言語」というイメージがありますが、実際は韓国、北朝鮮、延辺朝鮮族自治州のみならず、日本、ロシア・CIS、アメリカなどさまざまな地域で話されていることがわかります。とはいえ、在日朝鮮語や高麗語は正書法を持たず、言語としての自律性が乏しいため、今後消滅してしまう可能性もかなり高いと考えられます。そのため、朝鮮語圏としてはやはり、韓国、北朝鮮、そして延辺朝鮮族自治州の3地域に絞られてくると言えるでしょう。

朝鮮語が話されている国々はかつて、経済的に貧しく世界的な影響力を持つことはありませんでした。しかし現在では韓国が世界11位の規模を有する経済大国となったため、朝鮮語の影響力も徐々に上がってきたと言えるでしょう。上記のように、韓国と北朝鮮の朝鮮語は差異が大きくなりつつありますが、今後の政治的な動向によって言語がどのような影響を受けることになるのか、注目していく必要がありそうです。

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武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。