カナダ・ケベックについて①フランス語と英語のあいだで

昨日の記事では、台湾国内のエスニックマイノリティである台湾原住民と呼ばれる人々について書きました。台湾では歴史的に彼らに対する同化政策が行われてきましたが、近年ではそれが見直されつつあるという内容でしたね。どの国にも多かれ少なかれエスニックマイノリティの問題は存在しているのですが、その解決の仕方はそれぞれ大きく異なっています。また「マイノリティ」と言ってもその規模は大小さまざまです。以前の記事で「マイノリティ」という概念を取り上げた際、この言葉の定義にも触れましたが、「マイノリティ」の意味するところは数が少ないというよりは、「マジョリティに対して劣勢な位置に置かれているもの」というような意味があります。この意味では、仮に人口が多かったとしても、あるマジョリティに対して「マイナー」だとされているものが「マイノリティ」だと言えるでしょう。このような例として挙げられるのが、カナダのケベック州住民ではないかと思います。というわけで、本日はカナダのフランス語圏であるケベックについて取り上げていきます。

比較的良く知られていることではありますが、カナダには英語とフランス語という2つの公用語が存在します。形式的には英語とフランス語は平等な公用語であり、全国で両方の言語による行政や教育のサービスを受けることが保障されています。しかし、これは全国で英語とフランス語両方が通用しているという意味ではありません。実際のところ、カナダのほとんどの地域では英語が第一言語として話されています。一方、カナダの「フランス語圏」としては、「ケベック州」、「ニューブランズウィック州」など東部の州が挙げられます。特にケベック州では、人口の8割がフランス語を母語とし、ほとんどの住民がフランス語を話します。ケベック州の住民は「ケベック人」として他のカナダ人とは異なるアイデンティティを持ち、カナダ全体におけるマイノリティとしての位置にあります。

16世紀、大航海時代にフランスはアメリカ大陸へと進出し、ケベックを含む北アメリカ東部はフランス領となりました。フランス領のアメリカは「ヌーベル・フランス」と呼ばれ、かなり広大な領土となっていました。しかし18世紀にフランス+インディアンとイギリスが交戦したフレンチ・インディアン戦争でイギリスが勝利すると、ヌーベル・フランスはイギリス領となりました。このとき、ヌーベル・フランスの住民であるフランス系移民もイギリス領に帰属することを余儀なくされたのです。イギリスからカナダが独立していく過程でも、商業で成功を収めるイギリス系住民に対し、フランス系住民は経済的にも弱い立場に置かれ、マジョリティであるイギリス系に対する反発は強まっていきました。

ケベック州は人口3600万人のカナダのなかで、二番目に人口の多い州であり、約800万人の人口を有します。人口だけ見るとかなり多いという印象ですが、カナダ全体で見ると、数的にも経済的にも劣勢であり、マイノリティとしての立場に立たされていると言えます。ケベック州の最大の都市モントリオールは、カナダ全体のなかでもトロントに次ぐ第二位の都市です。現在、ケベック州はカナダで唯一、フランス語「のみ」を公用語としています。

ケベック州では、上記のようにカナダ政府や英語に対して根強い反発がありました。そして、1960年代には、政治、経済、教育などの分野で、ケベック州はこれまでとは異なる自主独立的な政策を推進してゆくことになります。この政策は「静かなる革命」とも呼ばれ、ケベック州の住民は「ケベック人」としての独自のアイデンティティを強固にしていきました。1967年、フランス随一の大統領であるシャルル・ド・ゴールはモントリオールを訪れ、演説のなかで「自由ケベック万歳! Vive le Québec libre!」と叫びました。これはケベック州内のナショナリズムを鼓舞し火を付ける発言として認識され、フランスとカナダの対立を招きました。その後、ケベックのナショナリズム運動はさらに盛んになっていき、左派過激派の「ケベック解放戦線」が結成されるなど、事態は深刻化していきました。60年代から70年代にかけて、ケベックでは「オクトーバー・クライシス」と呼ばれる事件をはじめとして、死傷者の出るテロ事件が相次ぎました。1980年と1995年には、ケベック州の独立を問う国民投票が実施され、どちらも否決されましたが、それでも半数近い住民が賛成に票を投じるなど、独立を求める声は少なくありません。

「フランス語を話すせいでマイノリティになり困窮してしまうなら、英語を話すようにすれば良い」と考える人も(特に日本人には)多いのではないでしょうか。しかし、これはまさに同化主義的な思想であり、マイノリティ当事者の人格権を無視した考え方と言えるでしょう。カナダの他の州では英語が共通語なのであり、実際に英語を受け入れているケベック州の人々もいるでしょう。しかし、なぜ多くのケベック人がフランス語にこだわっているのか、なぜ死傷者をも出す武力闘争によってケベックの独立性を保持しようとするのか、ということを改めて考える必要性があります。ケベックの人々が守ろうとしているのは、主としてフランス語を中心とするケベック的な文化や社会制度です。特に重要なのが、フランス語や、フランスの法制度に起源を持つケベック法などです。言語のみに注目しがちですが、法制度という点でも、英米法に属する英語圏の法律と、大陸法に属するフランス語圏の法律には大きな違いがあります。ケベック人にとって、フランス語やケベック法は自己の人格形成に不可欠なものだと言えるかもしれません。人格形成に不可欠である、ということは、言い換えれば、それがなければ人格の生存が不可能である、ということでもあります。

「マイノリティでいるのが嫌ならば、マジョリティになれば良い」という発想(残念ながらこれは日本人のあいだで多く見られますが)は、それ自体がマジョリティ側から発せられるものであり、マイノリティに属する者の人格的権利は、ここではまったく無視されてしまっているのです。だからこそケベックの人々は、流血沙汰を起こしてでも自分たちの権利を実現しようと試みたのでしょう。もちろん、テロリズムは否定されるべきであり、また多くの住民はこの暴力的解決策には反対したことでしょう。しかし、なぜこのとき特定の人々がテロリズムに走ってしまったのか、ということを考える必要はあるでしょう。フランス語がなければケベック人の人格は崩壊してしまう、しかし社会的に認容されるあらゆる手段で訴え出ても、その権利は保障されるどころか、どんどん侵害されてゆく。そのような局面に立たされたとき、人々は武器を取り、テロというもっとも犯してはならない他者の権利の侵害を実行してしまったのではないでしょうか。

現在のケベックは非常に安全であり、観光業も盛んな地域として知られています。ケベック州の経済はカナダのなかで2番目の規模を誇ります。しかし一人当たりのGDPで見ると、カナダ全体では下位となります。原因としては、ケベック文化を推奨する政策によって英語系企業の撤退などが進んだことだと考えられています。カナダ経済は依然としてアメリカやイギリスとの強い結びつきを保っており、英語なしではやっていけないカナダの構造的な問題がここに表れていると言えるでしょう。

現在で施行されている憲法は、「1982年憲法」と呼ばれるものです。1982年憲法では英語とフランス語を中心とする多文化主義、そしてケベック州の特殊性を認める内容となっています。しかし、ケベック州はこの憲法を批准しておらず、外見的には終結したかのように思えるケベック問題は、実質的には現在も継続中と考えた方が良いでしょう。

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武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。