言語について⑰琉球語

こちらのブログでは言語についてかなり多様なテーマを取り扱ってきましたが、日本で話されている言語についてもいろいろと書いてきました。日本の少数話者言語である琉球語やアイヌ語についても、主として日本語との関連性という観点から取り上げてきたつもりです。特に琉球語は、日本語との系統的な関連性を持ちながら、かつては琉球王国という独立国家の実質的な公用語として使用されていた由緒正しき言語である点で重要です。しかし琉球語は、現在の日本では話者数も少なくなってきており、多くの人は「日本語の方言に過ぎない」と考えているようです。そこで本日は、この琉球語について改めて考えていきたいと思います。

琉球語は、名称の通り日本の琉球諸島(南西諸島)で話されている言語です。琉球語は比較言語学的に日本語と同じ系統であることが証明されており、日本語と琉球語を総称して「日本語族」と呼びます。日本語族のなかに「日本語派」と「琉球語派」が含まれると考えられています。比較対象としてヨーロッパの言語の例を見てみると、「インド・ヨーロッパ語族」のなかに「ゲルマン語派」や「イタリック語派」があり、前者には英語が、そして後者にはフランス語が含まれます。日本語と琉球語の系統的な関係性は、英語とフランス語のそれに似ていると考えられます。

上述の通り、日本人の多くは琉球語を「方言」と考えます。言語学的には「言語」と「方言」の明確な区分は存在せず、系統が同じ諸言語は「言語」とも「方言」とも呼ぶことができます。しかし日本語と琉球語の場合、それぞれのネイティブ話者がお互いの言語のみで話した場合、相互に理解できる可能性はほぼゼロに近く、相互理解が不可能であることを根拠としてそれぞれを独立した「言語」とすることが言語学では一般的です。一方、琉球語を「言語」ではなく「方言」と考える人が多いのは、日本の政治的状況に影響を受けているものと推察されます。琉球王国が滅亡し、琉球諸島に沖縄県が設置されて以降、同地では日本への同化政策が盛んに行われていました。「琉球」を「沖縄県」と言い換え、「沖縄=日本の一部」であることを日本政府は決定付けようとしていました。そのため、琉球語もまた独立した言語ではなく、あくまで日本語の方言の一部にすぎないというイメージを流布させることも非常に重要でした。現在では沖縄県が日本の一部であることを疑う人はほとんどいないでしょうが、歴史的には非常にセンシティブな問題であったわけです。とはいえやはり、相互理解が不可能であり、文化的にも異なる諸言語を「方言」と分類してしまうことはあまり適切ではないでしょう。現在では「琉球方言」よりも「琉球語」という呼称の方がより広く見られます。

すでに述べた通り、琉球語は明らかに日本語と同系統の言語ですが、琉球語と日本語のあいだには相互理解が不可能なほどに大きな隔たりがあります。さらに、琉球語のなかにもかなり多くの方言が存在します。日本語でいえば「標準語」と「津軽弁」のように、相互理解が難しいほどの差異が、琉球語のなかにも存在しているのです。この理由としては、琉球王国には日本の標準語のような全国民が話す共通方言が存在しなかったことや、島国であったため地理的な隔たりが大きかったことが挙げられます。そのため、琉球語は島ごとに方言が異なっており、さらに一つの島内でも複数の方言が存在していることさえあります。琉球語は、北琉球方言と南琉球方言の2系統に分類されます。北琉球方言は沖縄本島や奄美大島などの諸方言が含まれ、南琉球方言には宮古島や石垣島など先島諸島の方言が含まれます。北琉球方言と南琉球方言のあいだにはかなり大きな差異があり、相互理解は難しいとされています。

琉球王国には全国で使われる標準語がなかった、と書きましたが、中心的な役割を担っていた方言は存在します。それは沖縄本島の中南部で話されていた「沖縄方言」です。琉球語沖縄方言はその独自性から「沖縄語」と呼ばれることもあります。この方言は現地では「うちなーぐち」と呼ばれ、琉球王国の中心地で話される言葉として知られています。沖縄方言のうち、王族や士族のあいだで話された「首里方言」や商業の言葉として使われた「那覇方言」は特に有名です。琉球語の実質的な標準語と考えられているのは「首里方言」であり、これは琉球王国の王宮(首里城)を中心に話された正則的な方言です。

琉球語の諸方言がお互いにどれだけ異なっているかは、それぞれの方言で同じ単語を見てみるだけで容易にわかります。例えば、日本語標準語の「ありがとう」は、沖縄方言(うちなーぐち)では「ニフェーデービル」、奄美方言では「アリガテサマリャオタ」、宮古方言では「タンディガータンディ」、石垣方言では「フコーラサーン」のように、それぞれの方言でまったく異なる表現になります。

上記のような多様性を持つ琉球語ですが、やはりもっとも多く使用されてきた方言は沖縄方言(うちなーぐち)でした。特に、首里方言は琉球王国の行政文書や芸術の言語として使用されていました。琉球には「琉歌」と呼ばれる詩の伝統があり、これは日本本土における「和歌」に相当するものです。和歌が五・七・五を基調とするリズムを持つのに対し、琉歌は八・八・八・六という独特のリズムを刻みます。琉歌のような伝統的な言語芸術に限らず、戦後沖縄のポップスやフォークソングなどでも琉球語沖縄方言は頻繁に使われてきました。琉球語沖縄方言を全面に出した曲はいろいろとありますが、日本のフォークやロックに大きな影響を与えた佐渡山豊の「ドゥチュイムニィ」は、歌詞が半分琉球語、半分日本語で書かれた非常に興味深い曲です(動画参照)。

現在の琉球語の状況にも触れておく必要があるでしょう。沖縄県の設置以降、琉球諸島では琉球語から日本語へと人々の言語が移り変わっていきました。結果として、琉球語の話者には高齢者が多く、話者数は年々減りつつあるというのが現状です。とはいえ、ネイティブスピーカーが0人に近くなりつつあるアイヌ語と比較すると、琉球語はまだまだ多くの話者数を有する言語ではあります。例えば、琉球語沖縄方言の話者数は、2000年の時点で  984,000人いたとされています。これは言語の話者数としては決して少ない数字ではありません。ただし、彼ら全員がネイティブスピーカーとして琉球語を話すわけではないでしょうし、現在の話者数はさらに減少していることが見込まれます。ユネスコは琉球語沖縄方言の消滅可能性について5段階のうち2番目の「危険」に指定しており、消滅危険性の存在を示唆しています。さらに南琉球方言の宮古方言や八重山方言に関していえば、話者数はそれぞれ5万人以下というレベルにまで減少してしまっており、ユネスコの注意喚起もなされています。

本日は、日本で話されている言語の一つである「琉球語」を取り上げてみました。琉球語はかつての琉球王国の言語でもあり、日本語の兄弟とも言える興味深い言語です。琉球語は主として政治的な理由から日本語の方言と呼ばれ、さらにそれを使用することさえ推奨されてこなかったのですが、このように人間のアイデンティティの源泉たる言語を政治的な闘争に巻き込むのは当然好ましいことではありません。今後の日本では琉球語の保護についても議論が活発化していくことと考えられますが、政治との関連性については慎重に考察していく必要性があります。

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武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。