教育について⑫司法試験の歴史と変遷

このブログでは教育について主として高等教育機関という観点から考察を行うとともに、国家の社会制度にとって重要な法律家についてもいくつか記事を掲載してきました。特に法律家のなかでも中核的な役割を担っている法曹三者(弁護士・裁判官・検察官)については、その概要をすでに開設しています。法曹を養成する機関として、現在の日本には法科大学院(ロースクール)という専門職大学院が設置されており、法科大学院の卒業後、司法試験に合格したあとに司法修習を経て法曹資格を得る、というのが法曹を目指す者の基本的なルートとされています。法曹への長い道のりのなかで、もっとも重要かつ難関なのが司法試験だということは明らかでしょう。単純に「日本でもっとも難しい試験」として知られる司法試験ですが、実は明治以降の日本で何度か制度の変更がありました。これらの変更は日本の社会制度の変化に合わせて行われたものであり、日本の歴史を考えるうえでも非常に重要な事項です。というわけで、本日は司法試験について、その歴史や遠隔を含めた観点から書いていきたいと思います。

司法試験は言うまでもなく、法曹の卵を選抜するための試験です。現在の日本では司法試験合格者は司法修習を受け、司法修習生考試(通称「二回試験」)と呼ばれる最終試験に合格することで法曹資格を得ます。二回試験は難しいものとされていますが合格率は高いため、やはり司法試験がもっとも高い壁であり、司法試験に受かりさえすれば法曹の世界への切符は手にしたようなものです。

法曹の採用・養成システムには二つの系統があります。一つ目は「法曹一元制」であり、弁護士経験者から裁判官と検察官を東洋するシステムです。法曹一元制は主として英米法系(アメリカやイギリス)の国々で採用されています。二つ目は「キャリア制」であり、こちらは弁護士非経験者を一から裁判官や検察官として養成するシステムです。戦後の日本はアメリカの制度の影響を強く受けたため、形式的には法曹一元制を採用しています。しかし、実際には司法修習を終えた人々を直接裁判官(判事補)として採用するシステムが根付いており、実質的にはキャリア制に近い運用となっています。

さて、司法試験の前提として法曹があるわけですが、法曹は古来より日本に存在していた職業ではありません。現在の法曹にあたる職種は西洋的な近代国家に不可欠な制度として、1870年代~1880年代の日本に導入されたものです。1890年からは「弁護士試験」(当初は「代言人試験」)が開始されました。また、1891年からは判事(裁判官)と検事(検察官)を採用するための「判事検事登用試験」が開始されました。つまり、このときは在野の法曹である弁護士と、司法系の官職である裁判官と検察官の採用ルートは分かれていました。実際には判事検事資格保有者が弁護士資格を有しているなど現在の制度に近い部分もありましたが、形式的には二元制度となっていたのです。弁護士試験の受験資格が学歴不問となっていたのに対し、判事検事登用試験は「司法省指定学校卒業者等」のみが受験できることとなっており、受験資格のハードルが高くなっていました。司法省指定学校としては、関西法律学校(現・関西大学)、日本法律学校(現・日本大学)、東京法学院(現・中央大学)、独逸学協会学校(廃止[8])、東京専門学校(現・早稲田大学)、明治法律学校(現・明治大学)、慶應義塾(現・慶應義塾大学)、専修学校(現・専修大学)、和仏法律学校(現・法政大学)の9校がありました。なお、帝国大学法科大学の出身者は試験免除で法曹になることができたようです。

1922年には、弁護士試験と判事検事登用試験が統合され、「高等文官試験司法科」として実施されるようになりました。高等文官試験は上級官僚の採用試験であり、「行政科」、「外交科」、「司法科」の3分野が存在していました。なお、行政科は現在の国家公務員採用総合職試験の前身にあたるものだと言えます。中等学校卒業程度はまず予備試験と呼ばれる試験に合格すると本試験を受けることができました。また、高等学校高等科卒業者や大学予科修了者は予備試験免除とされていました。判事検事登用試験の受験生が一部の法学校出身者のみに限られていたことと比較すると、高等文官試験司法科では大きく門戸が広がったことになりますが、試験は非常に難しく、合格者の多くを東京帝国大学と中央大学の卒業生が占めていました。三権分立が比較的厳格に求められる現代では、行政と司法の試験が同じ枠内で行われるということは考えにくいですが、当時は法曹も「高級官僚」の一部として考えられていたことは興味深いです。高等文官試験司法科は、弁護士、裁判官、検察官に共通する試験として、現在の司法試験に繋がる制度だったと言えるでしょう。

日本の敗戦後、日本国憲法が施行されると、司法制度も次々と変革されていきました。1949年には「司法試験法」が施行され、ついに司法試験が開始されるようになります。ここで注意しなければならないのは、ここでいう司法試験とはいわゆる「旧司法試験」のことで、後述する現在の「司法試験」とは別の試験だと言うことです。旧司法試験は一次試験と二次試験からなり、一次試験では一般教養を問う試験で、短答式と論文式が課されました。この一次試験は短大以外の大学を卒業又は2年以上在学し、一定の単位を取得していれば免除されたため、実際には二次試験から受験する人が多かったようです。二次試験は法律の試験で、短答式、論文式、口述式の三部構成となっていました。短答式の科目は憲法、民法、刑法の3科目、論文式の科目は憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法の6科目でした。口述試験では、憲法、民事系、刑事系の3科目について問われました。

旧司法試験は学歴不問の誰でも受験できる試験でしたが、最終合格率は1~3%であり、10年以上浪人する人も出てくるような難関試験でした。これが「司法試験=日本一難しい試験」というイメージの基礎になっているのでしょう。そのため、合格者の大多数を実質的に法学に強い名門大学の出身者が占めている状態でした。累計合格者数では、1位が東京大学(6537人)、2位が中央大学(5484人)、3位が早稲田大学(4205人)、4位が京都大学(2938人)、5位が慶應義塾大学(2071人)となっており、「東大京大早慶中」がトップ5を占めていました。とはいえ、受験資格はなかったため、経済状況や出自を問わず法曹への道にチャレンジできる試験として一定の意義がありました。

日本では1999年以降「司法制度改革」と呼ばれる改革が推進されました。裁判制度の変更や法テラスの設置など、法律実務的な部分の改革も行われましたが、司法制度改革の要とされたのは「法科大学院(ロースクール)」の設置です。法科大学院は2004年に設置された専門職大学院であり、3年制課程と2年制課程を置きました。法科大学院の設置に伴い、司法試験そのものも変更されました。このような経緯で旧司法試験の代わりに導入されたのが、「司法試験(いわゆる新司法試験)」です。新司法試験では、受験資格として「法科大学院課程を修了していること」が要求されるようになりました。これにより、司法試験を受けるためにはまず法科大学院を修了する必要が生じたのですが、法科大学院は学費が高いため、経済的に法科大学院へ通うのが難しい人のために、司法試験受験資格を得るための試験として登場したのが「司法試験予備試験(いわゆる予備試験)」です。予備試験は合格率3~4%で旧司法試験並みに難しい試験だとされています。予備試験は、短答式、論文式、口述式の三部構成となっています。

新司法試験の試験科目についても書いておきましょう。新司法試験は、短答式と論文式の二部構成になっており、旧司法試験や予備試験と異なり、口述式は課されていません。短答式の受験科目は、公法系科目(憲法及び行政法)、民事系科目(民法、商法及び民事訴訟法)、刑事系科目(刑法及び刑事訴訟法)の3科目です。短答式には合否があり、ここで不合格になると論文式の答案を採点してもらうことができません。論文式の科目は、公法系科目、民事系科目、刑事系科目に加え、選択科目の4科目です。選択科目は倒産法、租税法、経済法、知的財産法、労働法、環境法、国際関係法(公法系)、国際関係法(私法系)から一つを選択することになっています。実質的には、憲法、行政法、民法、商法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法と選択科目で、合計8種類の法律を学ぶ必要があるということになります。

本日は明治時代の弁護士試験及び判事検事登用試験から、現代の新司法試験まで、法曹採用試験の変遷を辿ってみました。法律家の役割も時代によって変わってきますし、国に求められる法曹養成の方法も変化していきます。日本における試験制度の変遷は、このような時代の流れに合わせて生じたものだと言えるでしょう。現在、法曹養成制度は過渡期にあるとされています。これは法科大学院修了者の司法試験合格率が芳しくないうえ、予備試験経由での司法試験合格者が増えていることから、当初の司法制度改革の目的とは異なる結果が生じてしまっているためです。実際、法科大学院の制度自体が徐々に改革をはじめているところであり、今後この流れの方向によっては、司法試験自体にも改革のメスが入る可能性もあるでしょう。これから司法試験をはじめとする法曹養成制度がどのように変遷していくのか、国民の一人として注目していく必要があると考えています。

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音大卒の声楽家。様々な芸能技法を武田梵声氏に師事しており、音域は8オクターブ(E-1〜E7)に及び、コロラトゥーラなども得意とする。日本とイギリスのハーフで、スペインやベネズエラの血も入っている。人類史上最高の歌手を目指して日々ストイックなトレーニングを重ねている。