プロの演奏家

こんばんは。夜分に失礼致しますが、1本ブログを書いてから寝ようと思うので、今おもむろに書き始めております。

クラシック音楽は、何が面白いか。やはり鑑賞する側にとっては、「大好きなあの曲を、高いクオリティで聴きたい」「この曲はこの奏者ならどう演奏するだろうか」「知らない曲に出会ったとしても、その魅力をありありと感じたい」など、そういった欲求の対価として、チケット代やチャージ料を払うわけです。よって、音楽を提供する私たちは、その本番に向けての準備と、体調管理を、責任を持ってやる義務があるのです。仕事としてやるクラシック音楽と、趣味の範囲内で行うクラシック音楽は、明確にそういった違いがあることを、やはり普段から意識していなくてはいけない。そう思う、最近の日々です。

もちろん、本番で全て正しい音が奏されるに越したことはないですが、それだけで演奏会に参加した者の満足度が高く帰路につけるかといえば、甚だ疑問です。しかし、熱情や音楽的背景だけが勝って、正しい音を届けられない(舞台で言えば、筋書きが変わってしまうような台詞の間違いが起きてしまう)ことも問題なので、プロの演奏家は、そのどちらも満たしていけるような訓練、楽器、身体のメンテナンスを常にしている必要が生まれてきます。

音楽家の日常は、人としての生活と、社会人としての生活と、音楽家(芸術家)としての姿を全て兼ねていなければなりません。よっぽどの条件や環境にいない限り、そのどれかが欠けていたらまともに音楽家としての人生は送流ことが難しいでしょう。命あっての芸術行為なので、それらの全てのバランスが取れていないと、優れた芸術行為はできない。非常に、自ずから過酷な環境に在る職業だと思います。

自分の欲求や希望を満たすだけだったら、それは趣味の延長に過ぎない。やはりプロとして、職業として音楽をやる以上は、受容する側の聴衆の目線に立ってものを考え、どんなものを提供するべきか、自分だったら何ができるのか、エゴで終わるような音楽をしていないか、そういうことを常に考えて取り組むのが、今生きている人類のみならず、脈々と続いていくこれからの音楽界、アマチュアを含めた、音楽に関わる人みんなにとって良いのかと、プロ2年目に突入した身として、決意表明のつもりで書きました。
最後まで読んで下さりありがとうございましたm(__)m

ABOUTこの記事をかいた人

武蔵野音楽大学、同大学大学院ヴィルトゥオーゾコースを修了。 音楽でしか表現出来ない世界に魅せられ、独学で作曲を勉強する。 大家の作品の演奏のみならず、「この世にかつてない、新しい音楽を作る」「自分の感じる世界を余すことなく表出する」という理念の元に、創作や独自の響きの研究も行っている。大学の専攻はピアノだが、ヴァイオリンも演奏する。