障害者はかわいそうな存在ではない〜むしろこっちがいい〜重度アスペルガーが述べます

僕もですが、障害者はとにかく世間で「かわいそうな存在」、もしくは「それで障害者なの?普通じゃん」と言われてかなり苦戦します。今回は僕が脳機能障害があるので、そのタイプをメインとしていますが、このようなことはめちゃくちゃ多いです。

基本的に、現代社会での一般的な思想としては「社会」が良いものであり、健常者のスタイルが適切であるというモデルに従っている面が大きいと思います。そのため、思考力がない方は、それに飲まれてしまい、障害があることが「かわいそう」というか、もしくは「その程度で障害者なの?」みたいな、いわゆる下の立場として扱われます。

そこから、障害者に向けられる音楽などは希望に満ち溢れたものとなります。もちろん、そのような社会と同じ思想を持っている障害者も多くいると思いますが、違う人もたくさんいます。

僕は、全く社会に適合したいと思っていません。普通にクソだからです。しかも健常者になりたいと全く思っていません。僕が障害により理解ができない常識も、マナーや礼儀を除く大半は間違っているものばかりなので理解納得できないのは当然の結果であり、適切な思考を行なっているという証拠でもあります。実際に、生活や人生ではだいぶ困っておりますが、それでも自分の人生のままを選びたいですし、少ない理解者と共に暮らしていれば、世間に溶け込む必要は全くございません。そのため、障害者の中には、社会に向かいたい側と、いや違うだろ側がいて、僕は後者です。

そして、僕が納得いっていないのは、障害や困難こそ幸福そのものなのに、それに気づいていない人間全てです。これは、障害者自身にも当てはまります。そもそも「かわいそうモデル」を信望している障害者側にも大きく問題があり、それに加え、分子整合医学や最新の医療などに関して無頓着であり、自身での食生活などで大幅に悪化させているパターンが大変多いことは、自身の責任だと思います。例えば疲れやすいなどの二次障害は、グルタチオン酵素の生成量が非常に低いことが原因であったり、糖質依存が抜けないせいでビタミンB群が激減し、乳酸脱水素酵素が足りないことなどによります。

障害の中核症状は困難であっても、疲れやすいなどのものは、ある程度解決が可能なものです。

そして、それらの中核症状以外を全て取り除くと、単純に才能だけが突出した存在が誕生します。このように、普通より発達に偏りがあるのであれば、その中での最適解を見出すことで、通常では出せない身体や思想の動きを操ることができるようになるのが、障害者であり、そのとんでもない価値を活かせる状態まで持っていったら、自分も、日本も、世界も変わるでしょう。

もちろん、自分が嫌でなければ、疲れやすいままでも構いません。要は、障害者は国の宝だし、健常者より人生楽しくなるポテンシャルは実際はかなり大きいよと、僕は言いたいのです!!!!!!!

 

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