曲目解説 アルバム『雇はれ蚕Ω』より「御勤め御苦労」

概略

こちらは配信版最終曲となっております(CD版で本当の最終曲「万物を愛するために」が収録されています)。御勤め御苦労のストーリーは、脱出を決意した主人公が家から逃げていくが、やはり庭の朝顔が気になってしまい、戻って見に行ってしまうということから始まります。

曲の構成がどんどん解放されていき、最初の曲の硬い作りは崩壊し、自由に音が動き回る、素材を切り張りしたミュージックコンクレートの作りとなっています。また、よく聴くとその素材やコードは、このアルバムのここまでの曲の一部をかき集めて作られています。全部の曲のサビやメロディ、和音がバラバラになり、ヒグラシの鳴き声や踏切の音も含めて形成されています。

過去と未来の記憶が合一するところにきたことを示しています。

曲の作り(冒頭部)0:00~1:00

まず、この曲は珍しく僕がギターを弾いています。また、ダブルボーカルとなっており、初見で聴き取るのは結構難しいかもしれません。内容は3曲目の雇はれ蚕で出てきた学校での片想いの相手「スピリッツ派の彼」が教室で息を止めるなど、自分と同じ黄泉の領域へ向かう様が描かれます。そして、何にも知らないで彼に恋をしてしまう愚かさと、決して何も穢れの領域を知らないでほしいということを歌います。

穢れを知らないで欲しいというのは、常世ノ國で出てきたように「穢れ」と差別を受ける人の苦しみを知らないで欲しいということと、ずっと未発達のまま自分のものにして確保したいという、最初のフグリの母の呪いを自分も引き継いで実施しているということです。

つまり、この雇はれ蚕のアルバムは、高尚な精神と未発達な精神が行き来して発現していきます。なぜならば愛情不足の中学生の未発達な精神が、ちょっとだけ明るさへ向かうことを描いているためです。完成された愛しか描かないのは、クソつまらないし、からです。

曲の作り(中間部)1:00~2:00

別のアルバムの曲である「蘭鋳」が編曲されて登場します。蘭鋳は、人間のために生まれてきた存在であり、生きることも死ぬことも自分で自由にコントロールができません。それを愛着障害やモラトリアムの葛藤をテーマにした大学生の曲ですが、実は御勤め御苦労から蘭鋳への世界はリンクしています。

そのため、一作目のアルバム「ギルバート慶と世界創造」の主役の昔の姿が、雇はれ蚕の主人公ということです。

曲の作り(後部)2:00~最後まで

羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯諦菩提薩婆訶というバックコーラスと共に「こぼれ落ちたXYZ(なみだ)」と述べます。僕がもし健康な生命なら、朝顔との素晴らしい愛情にも気づけなかったということに気づくシーンです。

そして、「僕は世界一だらしない、ただ明るい家族を増やせたならば」という歌詞は、別に真面目なわけではないけど、寂しいから頑張っちゃっただけなんだよな。と自虐を込めて歌います。

そして、最後に「君だけは僕の気持ちがよくわかるのでしょう?」と歌い、そこのバンドサウンドに2曲目の「あさがほ(淫蟲篇)」に出てきたフレーズが出てきて、朝顔と僕が顔を向き合わせて最後のお別れ前に対話します。

いつか居なくなってしまう青い花が、頑張って毎朝僕に教えてくれていたものは「生きていても良い」ということであった。」と述べ、最後に朝顔の元気なのか死を意味するのか判断しにくい、ピーというブザー音で返事をし、曲が終わります。ここは、ピーという病院の心音計の音を意識し、死んだように解釈している方が多いのですが、ここの時点で自己と対称の間に対称関係が発現し、自己同一性の芽が心の中に咲き始めたことを述べています

霊(たま)の感覚と対象関係論

この曲で出てくるブザー音は、実は折口民俗学でいう霊(たま)の感覚を示しています。これも僕の敬愛する武田梵声先生が教えてくださったものを自分なりに使って表現しています。また、メラニークラインとカーンバーグの対象関係論を交えて表現しています。基本的に、病気も障害も含めて僕は嫌なものとして扱わず、愛していて、勉強してしまうのです。

簡単にいうと、未発達な自我は親などの愛を受けることによって、その存在を自分の精神内に宿らせることにより、自我が確立していきます。その過程で毒親などだと自罰思考などを行ったり病んでしまうのですが、朝顔の霊(たま)が自分に乗り移ってくれることによって、それから脱却したということです。

つまり、この最後の曲のために他の全ての曲を作り、この曲の最後までで全て回収して統合させたという作りにしています。

そして、終わったと見せかけてCD版限定の「万物を愛するために」へ続いていき、そこからアマプラで配信しているライブ動画《誉》-自己愛と境界例-の世界へと朝顔の霊(たま)が進行して世界を切り拓いていきます。