曲目解説 アルバム『雇はれ蚕Ω』より「常世ノ國」歌詞解説付き

概要

この曲は、僕の処女作である「自由自在」をEnrichの和田が聴いて、気に入ってくれたため、バンドテイストで編曲をお願いしたものです。そのため、ボーカルは自由自在のままで、オケだけがリミックスとなっており、全く違う構成となっております。しかし、自由自在と常世ノ國は4文字であり、コンセプトも解脱脱出がテーマであり、裏と表のような作りになっています。

一番の特徴は、歌詞はそのままに、文字がお経テイストになっていることです。そしてここで、雇はれ蚕の第三のストーリーである、「XY」が登場します。

XYとは何を意味するのか

XYはアルバムのジャケット、常世ノ國、御勤め御苦労などの歌詞に登場し、表のストーリーにも裏のストーリーにも出てこない謎の概念となっております。そして、最終曲「御勤め御苦労」では、「こぼれ落ちたXYZ(なみだ)」という歌詞でシメます。これは何を意味しているのかというと、

不浄の者、社会からこぼれ落ちた者、障害者、人間になれなかった胎児、奇形のもの、病気のものを指しています。つまり、差別を扱ったのが第三のストーリーであり、被差別者を指します。この雇はれ蚕のアルバムは、丸尾末広さんの作品の影響を受けており、中でも障害者や奇形を扱う見世物小屋がテーマになっている「少女椿」を当時の僕は引きこもって見ていたので、強く影響を受けました。

これは染色体であるXXやXYが普通の人間を表し、通常ならば障害者などはXX・XY(人間)にうまく形成されなかった者として扱われますが、ここではZという第三の在り方、人間とは別の存在であり、穢れであり神とされていた古代への回帰を示しています。簡単にいうと、僕も障害で苦しんでいましたが、それは欠損がある劣った存在なのではなく、第三の素晴らしい在り方にたどり着くことを示しています。

自分は体が弱く、元々の障害や栄養失調で寝たきりになっている際、自分を劣った情けない存在だと考えていました。しかし自分の敬愛する師である武田梵声先生から「自分の中で最適のあり方を探せばいい。全く情けなくなんてことは無い。」と言っていただき、考え方が変わりました。これは、中学生の頃の僕が「脱出」した行為とは異なる、現在の自分のしがらみからの脱出であり、このアルバムの第三のテーマとなっているのです。

その頃から、自分は障害をコンプレックスではなく、武器として存分に扱えるようになってきました。忌まわしき存在として障害を治すのではなく、最適なあり方をだんだん出せるようになってきました。感謝しても仕切れないくらい、自分の人生では大きな転換となりました。

XX、XYになろうと彷徨い、最後でZになる様を描きました。これが呪いからの脱出であり、編曲の和田くんには説明していないのにも関わらず、感覚で全てを理解し、爽快感のあるオーケストレーションでキメてくれました。

歌詞解説

不辞、大切真宵、終了(生命を辞めないで新しく生まれよう)

胎内、過行綺麗、自然(胎児が産道を降りていく)(出産のシーン)

肉体、不可勝利、穢姿(こんな穢れた姿で良いのだろうか)

一瞬、不要生命、開始(要らない生命が始まる)

脱出、不浄、現世、理(この世の汚いもの(自分のこと)無くなってほしい)

不快、其及、融解自我(つらくて思考が無くなってゆく、、、)

不明、霊魂、XX障壁(自分はなぜ愛され無いのかわからない)(性をXと呼ぶ)

喰君、青春、希望幸福(健康な人の命を吸収して満たされたい)

記憶(未来と過去が交錯している空間に居ることを示す)

XXXY、XX、XX(XXを痛いと呼んで健常者との苦を表す)

XY、XXXY、Z!(Zにたどり着く)

不辞?怠惰、色即是空(もうやめない?つまらない毎日)

精精、堕落、綺麗陽光(落ちてく劣った胎児(自分))

性育、全能、悦楽世界(生きたい、現世の秘密を知って幸福になり)

愛情、愛情、乳房母聖(目の前のあなたはそんなこと、知らないけれど)

(瞑想開始)

XX、嗚呼、停止心臓(苦しい訓練を乗り越えて)

不要、精液、怠惰肉憎(苦しみから解き放たれます)

不浄、差別、全知全能(私たち病人は神の存在であると目覚め)

秘密、開醒、認識世界(究極の叡智でこの世界を自由自在に蠢きます)

現世倫理(さあいこう)解脱脱出(逃げてしまおう)

波羅蜜多(神仏の仲間入り)可能?(本当にやっちゃう?笑)

まとめ

雇はれ蚕の全曲は僕が武田梵声先生から教わっている民俗学、折口信夫や南方熊楠などを中心として、被差別やケガレ、マレビト、見世物小屋などの領域も含めた作品です。メインテーマは中学生なので、そこまでそう言った内容は出てきませんが、障害者、奇形、病気なども私は愛しております。そういった「かわいそう」ではなく本来は神として扱われている空間があったということ、そして現代の普通の人が指す「神」というイメージと本来の原始的な神に乖離があること、それらの現代の認識をひっくり返したい、本当はとてつもなく素晴らしい存在なのだということを示したくて、制作いたしました。

どうか、それも踏まえて、ですがシリアスにならずに、楽しんでお聴きくださいませ。それこそが1つの究極の在り方です。

 

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