僕のアスペルガー冒険記①はじまり編

初めに

僕はアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)で、精神障害者2級です。残念ながら、今でも1人では一般的な生活レベルは確保できません。小さい頃から何故かうまくできないことの連続で、ずっと辛い毎日でしたが、今はあらゆる治療を試し、あらゆる対策を徹底して、MAXやばい時よりもかなりマシになっています。

この冒険記は、僕の小さい頃からの現在のマシになって幸せになるまでの冒険の記録として残しておきます。

そう、僕は障害を受け入れるタイプではなく、抵抗しまくってマシにした非常にレアなタイプなのです。

注意

発達障害の人が健常者にめちゃくちゃ言われている「障害に見えないよ〜」「そんな簡単に診断出してもらえていいね」「俺も手帳取ろうかな」というワードや判断は、現実や理論と乖離した間違いです。

では、初めていきましょう。

幼少期

さっそくアスペルガーの症状を炸裂させており、会話が全く通じなかったことを覚えています。会話が通じないというと、よくある「IQが20以上違うと会話が通じない」などの論が思い浮かびますし、これは日常生活の中では正しい理論で、結構好きな話なのですが、そういう次元じゃない通じなさです。

まず、会話とかそういうレベルではなく、相手が喜んでいるのか悲しんでいるのかなどもわかりません。10分くらい怒られて「あれ、、もしかして怒ってるのかな、、?なんで怒ってるんだろう」って薄々気づき始める感じです。

そのため、基本的に心の中と外界がベールに包まれて区切られているような感じで生きていました。

これで困るのが、周囲は僕と会話が通じていて、心が通じ合えていると思っているということです。全くそんなことはなく、向こう側は分かっているのですが、こちら側はわかりません。

そして自分のせいで悪化

残念ながらこの「心がわからない」通じなさに加えて、アスペルガー症候群あるあるの「天才すぎてわからなさ」が発動してしまいます。心がわからない状態だったら良いものの、会話自体も通じなくなっていきます。

僕は4歳くらいの、思考力が芽生えた頃から西洋物理学においての時間の感覚エントロピー質量保存の法則の理論上の間違いを見抜き、ついでに分子生物学、考古学が大好きで、地球の昔の重力とかについて母親に論じていました。そういえば、英語と日本語を話していました。

全く会話が通じず「理屈っぽい人嫌い」と言われてしまい、相当なショックを受けました。

これは、僕は片親で、お父さんが居なかったことも、原因かもしれません。ですが僕の会話はお父さんもちょっと理解が困難で、同じく超絶アスペルガーの傾向を持つイギリスのおじいちゃんが近くにいたら良き友となっていたでしょう。

続く…

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