激動を迎える
今までの記事では、住む場所の話や治療法の話などがメインでした。そもそも社会適合したいと思っておらず、完全に諦めているので出てきません。
そして、記載していなかったのですが、僕は人助けが大好きというか、自分と同じ家庭環境や障害のある人を見ると放っておけない傾向が強く、ここまで来るまでにも自分がボロボロになっていても寝たきりになっても何らかの手段で人助けは続けていました。
しかし、これを美談だと思っているわけではなく、僕も孤独感が強く、自分と同じような存在を助けると自分も癒される気がしていたのです。つまり、かっこいい感じではなくあくまでも寂しかったのだと思います。
そして、ここまでの見返りを求めていなかった人助けが、なんと実りを迎えます。
再び地獄からの脱出
今まで見返りを求めずに助けていた人がやっていた事業が倒産し、職を失い、追われてうちに逃げ込みます。一緒に住もうということになります。僕も同時に一人の生活や孤独感に限界を迎えておりましたので、お互いで助け合っていく形になります。
辛い症状などはどうにか治療して、生活も自動化してラクにしても、孤独感だけは癒されず残っていました。人間の気持ちがわからないのですが、絶望的な状態の人に必要とされるとさすがに少しだけ人の心に触れた気がして、とてもとても嬉しかったのです。
借金問題や訴訟問題、過去のいろいろな問題を引き受けて、全て一緒に解決していく形となります。しかし、中々脱出が困難そうなので、新幹線に乗って相手と相手の親まで話にいき、仕事や人間関係の後処理も全部引き受けました。
そして、当時住んでいたクソ物件とはおさらばし、ちょっと都心から離れた、家賃の安い一戸建ての物件を借りて共同生活が始まります。
僕は基本的には人と意思の疎通が取れないのですが、ごくごく稀に会話が成立する人がいるのです。そんな時間は、僕にとってはこの世界で唯一の安全なお湯に浸かっているような時間なのです。
自分がやりたかったこと
支払いなども全て僕が引き受けて、仕事を休ませて療養させたので、人生で初めての借金をする形となりました。自分のやりたかった音楽ができない時期もありましたが、一生懸命働き、自分の限界まで頑張り、借金を返済したり、また借りたりなどの日々が続きました。
この時に、人と初めて、しっかりした信頼関係が構築されているのがわかり、自分が追い求めていた「暖かい家庭」というものを生まれて初めて感じました。もう孤独ではないとか、居場所や安心感とはこのようなものかと感じ、たくさん泣きました。相手も僕とは違うタイプの障害を持っている可能性があり、相当嬉しい日々だったようです。
そして、自分がやりたいことをやれるのが幸せだと思っていた僕は「自分がやりたいことを犠牲にしてでも掴みたいもの」を理解し、本当に生きるとは何か、この世の真実とは何かを少しは理解したかもしれません。
長い絶望の中で見出したものは、本当の幸福とは全てを失ってボロボロになってでも、絶望の中で一輪の花を咲かせることだと感じました。
さて、ここからもう1ランク上の治療へ進みます。
僕の人生は、ほとんどが発達障害やあらゆる症状との戦いで終わっており、早く終止符を打ち、マシな人間としての肉体で、暮らしたかったのです。
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