僕のアスペルガー冒険記㉒人の気持ちがより一層わかる(その2)

優しさ

僕は自分を「優しい」と思っていて、自分が借金などをしても人を助けるタイプである。しかし今は、あまり慰めたり、仕事や勉強で困る人をわざと助けないようにしている。

「困ることや絶望はその人に与えられた恵みであり、その人が成長するために必要な機会」だと思っていた。だから質問されてもオススメ本や勉強法を教えるだけで、特に手伝わない。苦しみの機会を奪うことは残酷なことであると思っていた。

本当は手伝いや人助けは大好きなのだが、それで良くなった人が周りに出現しなかったので、そういうところは厳しめにするようになった。

優しくしてきたものの、、、

たとえばお金の稼ぎ方を聞かれたり、発声の話を聞かれて、無料で丁寧に教えてあげても、その人はそれを扱えるようにはならない。自分の精神構造や知能が育たないとそもそも元に戻る。

そのため、一時的に助けて安心させることには、実は残酷性が含まれている。

僕の周りにはそもそも自力で這い上がったみたいな人が多く、ハッキリ辛いことを伝えても喜ぶ人が多い。僕は周囲にアスペルガーが殆どなのである。

しかし、人によっては優しくされないとそもそも意欲なども湧かない起業したいと言っていても実は寂しいだけだとか、目的が優しくされることの人が相当いるようで、どうやら僕の考えはごく一部の人だけに適用されるものであった。

また少しマシに

このような精神形成は、メラニークライン、カーンバーグの対象関係論でいう分裂ポジションっぽく、本来のホモサピエンスの成人にはほぼみられず、戦時中や戦前の日本人の精神性とも大きく異なる。(通常は、アスペルガーの方が対象関係をうまく構築できず、この状態になると言われているので、再考する必要がある。)

しかしこれが悪いかどうかはとりあえず置いておいて、同居人が僕に大変丁寧に、人の気持ちを説明してくれ、不可思議な存在であった人々の気持ちを理解する、大きなきっかけとなった。

多くの人にとって、優しさがまず必要であって、そのような状態の人に対して厳しく接すると大変マイナスであるということを知り、猛省をし、また少しずつ理解が進んでいる。正確にいうと、厳しく接するのがマイナスであることは識っていたが、多くの人がそのような精神状態にあることを理解していなかった。

そもそも今までであれば意思の疎通が取れず揉めて絶縁をしてきた「この人のことを理解したい」と思わせてくれたことが、一番よかった。

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