退廃の美、ディストピア美とは?究極の美は美術館ではなくあなたの日々に見つかる。

美の基準にはあらゆるものがあります。しかしその大きな基準とは、エントロピーが崩壊するところ(および再生していくところ)に、人間は美しさを感じます。そもそもアメリカナイズされた美的感覚は偽物であり、良いと思わされているだけで本来の美的センスは発現していないので、それを指しているのではありません。

さて、エントロピーの崩壊するところは、いわば死であり無の空間へと肉体と魂が飛散していくところです。生命が生まれるところには必ずこの現象が隣接して起こっており、美を感じるという能力自体が人間に備わった生得的な機能であると言えます。そのため、一般的に美しいものと言われるのは、壊し甲斐があるものであり、さらに感覚が発現している方は、醜の美や退廃の美など、完全に崩れたものや汚いもの、壊れることや痛みに美を見出すことができます。こちらが美の本体ですので、そこを認識することが芸術活動をする上で第一歩と言えます。

そもそも美とは何かという問いに関して、人それぞれなどという何の思考も勉強もしていない論を持っている人がほとんどであり、有名大学や音楽大学の優秀とされる教師などから、有名な哲学者なども割とカスい回答を持ってしまうことが多いです。基本的に、そこら辺は実はすごい人ではない可能性が高く、世界各地のあらゆる超越しているレベルの学者などを「優秀」と捉えるとスムーズに学習が進みます。

さて、世界が崩壊する情景に美を感じることも、素晴らしい美的感覚のうちの一つです。これは僕の支持する一つの考え方としては、人間がもともと別の生物だった頃から、夕日が落ちる様を見てから夜になっていたところから、現代人にもその記憶が残っており、あらゆる美的感覚として発動してくるというものです。世界が崩壊して夜の世界になっていく様や、その先まで先祖を遡るならば、地球がぐちゃぐちゃのカオスだった頃の記憶も持っている可能性もあります。そもそも情報や記憶とは脳だけで行うものではないためです。

つまり、懐かしいという感覚から美しさが生まれており、その懐かしさの根源にあるのはエントロピーの縮小と拡大であり、つまりは宇宙の創造の段階から美の基準が影響を受けているということです。宇宙誕生時の鼓動が、現在の生命にも受け継がれています。そしてそれは毎日の、野菜を放置して腐らせてしまっている時にも、エントロピーが