とにかく世の曲がつまらない理由。文句を言う暇があったら自分でどうにかする。

とにかく世に流布している曲は楽しめる物が大変少ないです。世に流布していないものでも滅多にありません。多くの人は、十分楽しんでいると思いますが、僕自身がそのように楽しめる人間ではないのと、実はそれに苦しんでいる人はいっぱい居るということを言いたい。

まず、思考を積み上げたり勉強したりすると世の中の思想と乖離していきます。そもそもこの世の現象は、簡単に理解できる物ではなく、努力をせねば正しく認識することができません。だから哲学や瞑想や学習があるわけですが、それらを十分に行なっていない状態での作曲は、能力が限定されます。なぜならば脳の処理能力にロックがかかりまくった状態で実施しているためであり、変性意識の力が弱すぎるためです。

各音が光として停止して見えるような精神状態にはならないと、心の奥のさらに奥へ届くような曲は作ることができません。つまり、聴いて感動しても日々は何も変わらない作品が多い。曲を聴いて自分の人生が変わったと思っている人は、それは多くは自分の変性意識能力が発動しているためであり、曲はきっかけに過ぎません。意識のブロックを停止し、幼児退行させる効果があります。幼児退行の本質は、ミジンコやアメーバ、もしくは宇宙の一部だった頃の記憶が究極であり、その先は「無」の領域までの退行ですので、非常に重要な能力であります。

このようなことを、芸術作品や演奏は起こすことが可能ですが、一般的なコード伴奏に歌を載せるような作りでは無理というわけです。そもそもそこを認識できているかどうかで、この世界の認識が変わるわけですから、作曲にも大きく反映されるということです。

そこまで行っていなくとも、対位法もうまくできなければサビで上に逃げてしまったり、音圧で押すことでしか進行感を確保できないという壊滅状態に陥っているのが現代の作曲(特にJPOP)業界であります。じゃあクラシックはどうなの?というとこちらはコテコテに崇められておりますが、洗脳であり、うまく作られているわけではありません。つまり駄作が非常に多い。思考を巡らせておらず、この世界を認識する理論体系を持っていない精神から作られてきている曲が多いです。西洋正統派学問は、他の文化圏と違い、世界を組み立てるような理論体系を持っていないところが特徴ですので、音楽もそのような文化体系から生まれており、音域や音の細かさ、技術レベルなども他の文化圏に比べて非常に簡単な作りとなっております。ですが、人間の本来の力を十分に発揮できていないと言えます。普通に日本の曲の方がうまく作られておりますが、戦後アメリカナイズされた日本で暮らしていると、そう思うようになる機会は極めて少ないでしょう(だからこそ勉強や訓練が必要なわけですが)

まとめますと、僕は日本のJPOPが劣っているとかクラシックが優勢だとかを言いたいのではなく、とにかく思考を積み上げている人間たちが楽しめる曲はもうほとんど生まれてきていないよということです。これをなんとかして、今の社会が楽しくない人が、楽しくなるようにしたいのです。