超知識層が報われる社会になれば日本はよくなる。〜そのために音楽を作る〜

日本人は本来はかなり頭が良い民族だと思いますが、戦後アメリカナイズされ、宗教や民俗の感覚が変形いたしました。つまり現在の日本人は十分に能力が発揮できていないと言いたいわけです。

僕は、戦後GHQの洗脳政策などで、意図的に勉強や思考をしないように設計させられていると考えています。そのようにすることによって、支配構造を産むわけです。以前はこのようなことを考える人も少数派の極みでしたが、さすがに最近皆気づき始めてきて、嬉しい限りです。

まず学校教育などで、思考力が徹底的に落とされますし、勉強は苦しいものというイメージを持つようになります。本来ならば勉強と思考や経験などが強力な知力を生みますが、それをやらないようにさせられているならば、平和ボケ(そもそも全然平和ではなく、危機が常にあるのにも関わらず)するのは当然であり、生産性なども落ちていくのは既に予測できたことでしょう。

このままだと日本は確実に滅ぶと思います。

そして、あまり言われていませんが、賢者が報われない構造にもなっており、たとえ洗脳を跳ね除けて勉強したとしても、自分と違う存在を排斥したり、嫉妬してひきづり下ろしたりする構造となっているため、

頭が良い人の居場所がないという状態になっております。ここでいう頭の良さとは、難関大学の教授だとかそういうアカデミズムに染まりきった思想からくる判断ではなく、良いものを見抜く判断力や、単純に知識量など、IQ以外の全ての脳の能力を含めて行っております。IQ理論や天才$才能理論はそもそもクソであり、あれを信望していること自体、正しい判断ができないために起こる現象ですが、今回はそれは置いておきます。

さて、頭の良い人はとにかく世間と乖離が大きい。昔の文献などでしたら、たとえば南方熊楠のような変人な学者でも、周りは彼の知性を理解し、フレンドリーに仲良くしております。つまり、現在だったら圧倒的に孤立してほとんどコミュニケーションが成立しないはずなのに、当時の彼は周りに愛されて賢者認定されています。

つまり、そもそも周りの人も南方熊楠の知性をある程度は理解するか、もしくはそのような存在を大事にするような環境がそこにあったということであり、現代のように賢者=地獄を味わう空間になっていないと言えます。そのため、頭が良い人はそもそも意見を主張することができなくなったり、どんどん孤立して苦しむのです。

これでは、勉強すればするほど苦しくなる図式となります。そしてこれは、意図的に引き起こされていると考えます。そして、その人たちを救済する場として、僕の提唱する新ジャンル「少数派のための音楽」が活躍します。(そういう人たち以外にも有用です)。また、複雑なものを理解することは楽しいことという図式もできるので、多くの人の学習意欲も刺激し、アメリカナイズされた日本から脱却できる可能性を持っていると、考えています。

(続く)