クソ曲よ、さらば❼脆弱な芸術理論構成

芸術

現代の多くの曲や演奏を支えている芸術論は非常に脆いものです。表面化していないだけで、相当な数の有識者が浅くて離れていっているようです。

まず、美に関する理論が「好み」などのレベルにとどまったものとされており、服装や映像なども含めて現代日本に蔓延しています。

つまりどういうことかと述べますと、人類にとって普遍的な価値のあるものではなく、周りが良いというとか、現代の感覚やアート論を信じきっており、簡単にいうと似たゴミが大量生産されているということです。

これは良いものを効率よく生み出そうとする近代資本主義にも合致しています。

「芸術は自由だろ」

という主張が一般的で、アートだから評価が分かれるだとか「結局は好みだよね」などのように、芸術(アート)には明確な優劣の基準がない前提で全てが進みます。これは間違いです。

またインスピレーションに従って作るのが芸術家っぽく、勉強や研究家としての側面を持つことはほとんどありません。

はっきり言って研究もしくは能力が開発されていない状態から生まれる作品は全てダメです。ここで「知的障害がある人が描いた絵とかは素晴らしいだろ」という意見もあると思いますが、そもそも知的障害がある時点で阿頼耶識レベルの思考法を持つのでかなり訓練しているのと同じ状態です。

非常に苦しい状態

これらの思想は、現在のJPOPやオペラ界などを含む日本の音楽業界に蔓延しております(日本のオペラ界は社会に殆ど影響がありませんが)。

思想性がそもそも浅く、まるで量産化されたような作品を産み、聴き、また産むという負のスパイラルが起こっております。これらがなぜいけないかと言うと、本来の芸術の力を持たぬ別物だからです。

芸術の機能とは、美とは何かを考えたときに何故わからないかというと、現代の主流の思考が科学的思考や論理的思考によって起こっているため解き明かせなくなっております。

これらの答えの1つはエントロピーであり宇宙の創造の瞬間、物質の構成が現在にも如実に我らの心に影響を及ぼしているため、そこを理解するような感覚がないといけませんし、現代の西欧の主流とされる物理学ではそこは解き明かせておらず、宇宙の構成から全てを考えないと何もわからないので、芸術が何なのかも理解できないまま作っているのです。